均す
生田

 宇宙はぷつん、と収束するのか、ぽつん、と拡散するのかを考えていた。ところで、私の専攻は心理学である。だからとは言い切れないが、宇宙のこれからを考えてやらねばならない義理はない。なので、地球民の自覚を持ったりして自然保護に尽力することもなく、天井の染みを眺め今日の人間関係に悩んだりもする。
 父方の祖母は、祝日となると玄関口に日の丸の旗を掲揚していた。ちなみに先祖代々の墓があるお寺さんは浄土真宗であり、実家では仏壇と神棚が一緒くたにある。そうそう、クリスマスも祝っていた。そんな家ではあるが、いや、そんな家だからこそか、お彼岸には帰省しなさい、と父母は私を脅迫することに余念がない。とても幸福なことだ、と私は思う。
 一人暮らしの荷をまとめる際に、テレビはいらないのか?と親父さん(私は実の父を親父さん、と呼んでいる)に言われたが、結局、私の家にはラジオもテレビもなかったりする。不便はない。そう公言すると、信じられない、と八割の人間が驚き、残り二割の人間は、確かに必要ではないね、と笑う。雑談が面白いのは主に後者である。

 物と人の関係とはまことに面白いものだ。テレビが人を必要とするのか、人がテレビを必要とするのか、あるいはその両方か。この場合の物は色々と置き換えられる。例えば、宇宙でもよいし、国でも、人でもよい。なんならいま手元にある物を置いてみてもよい。
 置き換えてみると、人が必要とするものはさほど多くないことに気づく。存在することと必要であるかは別であるが、ご大層に抱えているものを、まったく関係のないものと同じ次元に均して見ることも、また面白いことなのである。


散文(批評随筆小説等) 均す Copyright 生田 2004-07-09 03:40:08
notebook Home 戻る