元気にやってて欲しい
サナギ

俺は相変わらず墓標を背負いながら歩きながら歩いている

お前らにとっては久しぶりだろうが
俺にとってはまあ昨日の今日みたいなもんだ

で、気がついたら
いつも俺の詩みたいな文章みたいなものを読んで
コメント残してくれてたヤツがいない

まあ向こうにも色々事情ってもんがあるだろうから
一抹の寂しさってものはあるが
仕方ない

そもそもネットってそういうもんだしな
他人とのコミュニケーションというよりは
なんつーか
自分とのコミュニケーションの場だなと思う
だからこそ勝手に消えたり現れたりできる
普通、顔見知り程度でもいきなり消えたらまずいよなって思うじゃねえか
でも自分対自分ならどうってことない

例えば俺が「お前ら」と呼びかけて
「お前ら」から何かコメントが返って来たとしても
直接言われたわけじゃねえから
コメント書いたやつのことを「想像」する
ネットでのコミュニケーションは99%くらいは「想像」だ
現実でのコミュニケーションだって50%くらいは「想像」だけどな

ちょびっと厳しいこと言われりゃ
自分の「想像」でものすごい悪人に言われたってなるし
ちょびっと優しいこと言われりゃ
自分の「想像」でものすごいいいヤツに言われたってなるし

わりと都合よくも都合悪くも、変えていけるよな
つまりは
ちょっと高度な対話マシーンと自分の想像力でコミュニケーションみたいなとこあるな

別にお前らがマシーンだとか空想だとか言いたいわけじゃない
ただ、顔が見えないんだからしょうがない
お前らだって、「いつもの自分」と「ネットの自分」がイコールだとは到底言えないだろ
書くのと話すのとでは、タイムラグや冷静さなんかがまるで違うしな
現実では口下手で、ネットでは饒舌だったりな
現実では自己紹介で「詩を書いてる」ことすら言えてないのがほとんどだろうしな

俺が墓標を背負ってるって言ってたって
現実にはそんなヤツいるかで終わりだが
ネット上には存在してるわけだしな
いや、そこはお前ら無駄に豊かな想像力で存在してることにしといてくれ

俺は「自分探し」って言葉発明したヤツに悪いから使わねえが
ネット上でのコミュニケーション、ハンネの使い分け、人称の使い分け
全部自分の分身を明確にする作業だと思ってる
明確にした上で、現実で使う
もしくは使えないからネットに置いておく

現代ってのはおっそろしく人格の使い分けが要求される時代だ
学校で何を演じればいいのか分からず演じても受け入れられず登校拒否
何種類もの人格がごちゃまぜになってパンクしてうつ病
まあこれは独断と偏見だが
ご苦労なこった
俺みたく
「墓標を背負ってる男だ文句あるか」ですめば
すげえ楽だし
ネットやハンネなんか必要ないだろうな

これはこれで色々大変だけどな
重いし
第一わけがわからねえよ

まあ、自分とのコミュニケーションであるとしても
相手が現実とは違う人間だとしても
逆に俺が虚構だったとしても
俺はネットの向こうの誰かの厚意を勝手に感じたんだし
勝手に感謝もしてる

どこかで元気でやってるだろうか
元気にやってて欲しい

わけも分からず重い墓標を背負ってただひたすら歩いてる
俺みたいな境遇に陥ってないことを
祈る




自由詩 元気にやってて欲しい Copyright サナギ 2008-04-15 15:34:32
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