『雨と目』
しめじ
夜、雨の音がする。窓の外を見ると街灯に照らされた雨粒が猫の毛を散らしたように落ちていく。黒い水たまりの上を鼠が走る。雨は止みそうもない。
文机に向かっていつものように創作に行き詰まっていると、ドアをノックする音が聞こえた。居留守を使って聞き耳を立てていると、訪問者は諦めたらしく静かになった。再び机に向かうと、今度はドンという鈍い音がした。玄関を見ると鍵が開いていてノブが回って扉が開いた。
そこには色付きの眼鏡をかけた髪の長い女が立っていた。長い髪が濡れていて雫が垂れていた。女は盲らしくやたらに壁を手で探りながら部屋へ上がってきた。息をひそめてじっとしていたのだが、私の居場所がわかるのか真直ぐにこちらへ歩いてきた。そして私の手を濡れた手で握った。女の手は冷たいのだか暖かいのだかよく分からない。ただ、白くてとても柔らかかった。
「あなた、あれをどこへやったの?」
女の手が私の頬に触れる。顔はよそへ向けたまま手だけで探っているようだ。しばらくすると親指を口の中に挿し入れてきたので、驚いて女を突き飛ばそうとした。しかし、まるで力が入らない。いつの間にか女に抱き竦められるよう形になってしまった。口の中には女の親指が入り込んでいて、舌がぐいぐいと押されている。女の親指のしょっぱいような酸っぱいような味が口の中に広がって気持ちが悪い。
「早く応えなさい」
そういっていっそう強く親指を押し付けてくる。知らないと言いたいのだが、女の親指が邪魔をして何も言うことができない。まごまごしているうちに女は怒ったようになり、唇を噛みしめていた。
「やっぱりこの部屋にあるのね」
そうして私を引きずって文机の前までやってきた。机の引き出しやタンスの引き出しを乱暴に引っ張り、女はここでもない、ここでもないと叫んでいる。窓を見ると降り始めた雨は土砂降りになっていた。街灯が消えている。
いったい女が何を探しているのか皆目検討がつかなかったが、女の顔と声にはどことなく覚えがあるような気がした。怒りで赤みの指した白い頬を盗み見る。去年別れたS子に似ているなと思った。しかし、S子の物を盗ったような覚えは全く無かった。
急に親指を引き抜いて女はこちらを睨んで唇を噛んだ。眼鏡のせいで目元は分からないけれど、怒った時唇を噛む癖はS子に間違いなかった。
「何も知らない」そう言おうとした瞬間S子が涙を流しながら眼鏡を外した。眼鏡の下の素顔を見て私は悲鳴を上げた。涙の源にあるはずの眼球がからっぽで、顔には二つ仄暗い眼窩が覗いていた。
ああ、と嗚咽を上げてあたふたしていると、押し入れに勢いよく倒れこんでふすまを突き破ってしまった。その拍子に破れたふすまからゴルフボール大の物体が滝のように流れ落ちてきた。よく見るとそれらは全て人間の目の玉だった。
S子がこれでもないあれでもないと目玉を拾い集めているの傍をすり抜けて私は無我夢中で雨の中へと逃げだした。傘がなく、雨に打たれていると心にない涙が流れていた。辺りは見知らぬ横町のようだった。雨が強くなり目の前が靄がかったようになってきた。気が付くと涙と一緒に目の玉も道ばたに流れて消えてしまった。心細くてまた泣いた。それと同時にS子のことが初めて不憫に思われ心の中から涙が溢れた。雨は止まない。私の目を探してくれる人はいない。
やがて柔らかい手が私の手に触れた。