コラージュのコラージュ
藤原 実

コラージュには自己を消しながらの自己主張というおもしろさを感じる。

自己表現ではなく自己消滅がボクの昔からのあこがれだったが、それはこの世か
ら完全に消えてしまうことではなかった。
ボクは消えながら存在したい、と思っていたのだった。
キャロル、ウォーホル、寺山修司などへの関心もそういう視点からのものだった
と思う。

寺山修司がよくベストテンをするのは、あれも一種のコラージュ好きなのだろう。

自分だけのヒミツをもったいぶってうちあけるようなことが「オリジナリティー」
だろうか?

あなたは自分自身の過去、あるいは日常を「引用」しませんか?

だれでもが知っていることを、おもしろく聞かせたい。

他人のコトバや作品からの「引用」には自己を消しながらの自己主張というおも
しろさがある。自分自身の過去や日常からしか「引用」しないというのは自我が
肥大化しているようで傲慢ささえ感じるな。


アンディ・ウォーホルは「ボクは機械になりたい」と言ったそうです。

 『写真による複製は、位置を変えて視点を自由に選択できるレンズにだけは映っ
  ても人間の目には映らない眺めを、オリジナルから抽出して強調することがで
  きる。あるいはまた、引き伸ばしや高速度撮影の特殊な手法の助けを借りて、
  普通の目では絶対に捉えられない映像を、定着することもできる。』
               (ベンヤミン「複製技術時代における芸術作品」)



散文(批評随筆小説等) コラージュのコラージュ Copyright 藤原 実 2003-09-06 05:04:01
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