言語について
右肩良久

 伯爵の晩餐会に呼ばれました。長いテーブルには間隔を開けて点灯された燭台が10ほども並んでいます。食事を前にして伯爵が英語でスピーチを始めました。以下はその内容です。
 「今、私が英語でスピーチすることについて、まず我が国民にお許しを頂きたいと思います。外国からのお客様もおおよそ御存知であるとは思いますが、我が国民は因習的に16の階層に分けられております。昔に比べて階層間の上下意識は希薄になっております。しかし階層ごとに未だに言語的差異があることが問題です。よく知られている例をあげれば、みなさんがお持ちの「盃」は第1から第7の階層まではよいのですが、第8階層から下では「バケツ」という意味になってしまいます。彼等の「盃」は、我々の階層では「骨壺」という意味なのですね。これは極端な例ですが、それよりも微妙な違いが夥しく存在し、それぞれの言葉に方言にも等しい印象の違いを与えています。また実際に各階層ごとの方言も存在しますから、ことは余計に複雑極まりない様相を呈しています。それからみなさんばかりでなく我々の子供たちをも悩ませるのがこれも煩雑な語の活用です。18の品詞のうち、なんと10の品詞が活用し、しかも時制と語の接続による活用とが組み合わされて、一語に8通りも変化のパターンがあります。フランス語と違って男性、女性による名詞の区別はありませんが、これとて男性に話す場合と女性に話す場合で、語そのものが変わってしまうことが多いのですから話にもなりません。
 我が国が近代化を果たす上で、これは大いなる障害であります。政府の始めた共通語の設定も、地域的、宗教的な対立によって暗礁に乗り上げています。我が国は一度として他国の支配を受けませんでしたが、植民地の遺産としてではなく、国際的グローバル化の波に乗り遅れないためにも、英語を公用語とすべき時が来たったと思うのであります。」
 僕の横に着座していた自称文化人類学者の男が、こっそり顔を寄せて、「上の連中がこんなことを平気で言っているようじゃ、この国は滅びるね。」と広東語で話しかけてきました。「大体、英語が幅をきかせるようになったら、この国の抱える八百万の雑霊の跋扈をどう押さえるって言うんだ。それこそ国際的な迷惑だと言うことがわからないのかね。」他の人たちはみんな半分目を瞑ってじっと挨拶を聞いています。さて、どんなものなのでしょうか。それよりも僕は、自分の皿の上にまるごと載せられた豚の頭が、時々くすぐったそうにふごふごと鼻を動かすのが気になります。こいつが隣の男の言う「雑霊」の仕業だとしたら、この国の文化的変質はまったく迷惑極まりないということがよくわかります。


散文(批評随筆小説等) 言語について Copyright 右肩良久 2008-03-16 23:12:19
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