赤い血なんてみんなうそといううたがあったらどんな顔をしてみんなは聞くだろうか
ホロウ・シカエルボク





赤い血なんかたぶんうそだろう
ぼくはそれを見たことがない、ぼくはそれを
それを見たことがなくて
頭を掻きながらぶつくさ言ってばかりいる
赤い血なんかたぶんうそなんだ
信じられない気持ちのほうが強いときには
「信じる」なんて言わないほうがこころによい
信じないことがわるいことであるなら
ひとの一生なんか百年もいらないさ
スローガンにしたがってぼんやり動いていればいい
赤い血なんて、たぶんうそだろう、そんなもの
そんなもの、見たいとも思わない、すこしも、つゆほども
それはあざやかなのだろうか
それともどきっとするほどの
あたたかい温度を持っているのか
それにふれたとき
すべてをゆるされたような、そんな気分になるだろうか
ぼくはそんなもの
すこしも見たいとは思わない
上手に泳ぐためには
だれだって一度二度
おぼれてみる必要があるじゃないか
たやすく叶う思いは
この世でもっとも信じちゃいけないものだ、とくにそう、こんなもの
こんなもののなかに、真実が隠れてるなんてかんがえちゃいけない、ポエットの
内容とは
ことばで塗り絵をつくるようなものだ
いろの明暗とか、構図のつけかたとか
はたまたどんな額縁をチョイスしようかなんて
プランニングをして差し出すみたいなもんさ、プランナーと違うのは
自分ではじめて自分に委ねればいいというところ
自分に委ねればいいということは
責任もすべて自分のものだ、しくじったら
こいつはそれまでたと思われておわりになるだけだ
赤い血なんてたぶんうそにちがいない
それがからだのうちにあったとしたらなんだというのだ
赤い血がそこにあったら、こぼれることばは
とてつもなくあざやかに
かがやいて見えるとでも?
見えないものは
あってもなくてもかまわない、知らないけど知ってる
知ってるけど知らない
どちらかに決めることを
真剣さと呼びたがるなんておわらいぐさだ
音楽と音楽のあいだにある空間のなかにぼくだけの音楽がある
ことばは音符だ
ぼくは
旋律をつむぐのだ、さいしょにうまれた人類のきもちで、野性というものの
自由であるがゆえの
いたらなさをおぼえながら
きみがもしかいっしょに
これをうたってくれたらすてきなことだよね
だけどそれはとてもむずかしいことで
ある日にはすれ違ったことさえ
気づかないであるいていた
ひとりぼっちでいることなんて
ひとりでいるときには気にかからないものだ
ぼくには
つむぐためのゆびがあったから
赤い血なんてきっとたぶんぜんぶうそ
たましい、なんて
あやふやなものに確信をもつのはやめなよ
赤い血なんてみんなうそだから
きみが読んでくれたらいい
きみが
読んでくれたら
いいな



この旋律を









自由詩 赤い血なんてみんなうそといううたがあったらどんな顔をしてみんなは聞くだろうか Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-03-11 21:48:41
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