まよなか
Utakata




まよなか
くらやみの中から線路が延びている
金属のレールの上に耳を触れると
同じ路線の上を歩く子供の足音が遠くに聞こえる
もう帰らない
もう帰らない
稲穂が風にしなう
線路から足を踏み外せば死んでしまう
そういう決まりは既に作られている
車両が走る重い振動音が伝わってくるが
電車は永遠に子供のいる場所へはたどり着かない
一歩ずつ子供は自分の家から遠ざかっていく
線路の先はくらやみの中へと延びている



まよなか
潮が満ちる頃
波に乗ってくらげたちは陸に上がる
満月が空の中天にかかっているので もう重力に従う必要がない
青と金色に光る半透明な球体が ゆっくりと砂浜から起き上がる
目覚めている生物の誰一人に見られることもない
眼のない彼らの身体が吸いつけられるように空のある一点を向く
海底に眠る鯨だけが夢の中でその光景を眺めている
彼らはまた かつて海を捨てた動物たちの遠い未来も夢見る
月のある方向に向かって 何百という水母たちが空へと上がってゆく
満潮の波がひときわ強く大地へと押し寄せる


まよなか
とても飢えたなにかが
夜の冷蔵庫の中に巣食っている
それは稼働音にまぎれて小さな低い呻き声で鳴く
片隅に置かれた二つのオレンジがかすかに青褪め
お互いに目配せをしてからゆっくりと息を殺していく
自らが閉じ込められた白い檻の中で
満たしてくれるものがそこにはないことをそれ自身も既に知っている
なにかは誰にも聞こえない声でひくく唸る
飢えだけが夜と同じ速度でゆっくりとそれの中に溜まっていく



まよなか
老人の影がいつものようにそこに現れると
動物園の中がいっせいに眠りから目覚める
鉄柵越しに鼻面を擦り付ける彼らに
老人の影はそっと指先を触れる
瞬間に動物たちの魂が身体から解き放たれ
鉄柵をすり抜けて空の中に遊ぶ
一匹の駝鳥が首を伸ばしてそれをじっと見つめる
老人の影がゆっくりとそれぞれの檻を歩き回るにつれ
動物園の空中が少しずつ魂で満たされていく
老人の影は最後に 一匹の象がいる檻の前で止まる
象は鉄柵のほうへ近寄ろうとせずに 灰色の目を上空に向ける
無数のたましいたちがそれぞれに鳴き叫びながら宙を駆け回っている
彼らの姿を長いあいだ眺めた後で象の目が閉じる
老人の影が彼の死を静かに看取る



まよなか
滑らかに濡れた音をたてて
睡蓮の花がさいた
池の縁に立って
自分の身体の腐った部分
人に決して見せることのできないような部分を一つずつ
掻きとっては水中にほうり込んでいく
水は既に底が見えないほど濁っている
死んだように揺れる睡蓮の花を見つめる
たった今生まれたはずの薄紅色の花弁が夜に浮かぶ
かすかだった香りがだんだんと自分の周りに濃くなっていく





まよなか
彼らは闇の中を無限に降下していく
眠る人たちのまなざしから逃れて
その時間にしか生きられない彼らは薄く笑う
朝が訪れるには
未だに多くの時間がかかることを彼らは知っている
まよなか
彼らは小さな声で物語を続ける
目覚めている生物たちに決して見られることのない出来事が
少しずつ闇の中で紡がれつづけていく




自由詩 まよなか Copyright Utakata 2008-02-11 03:53:45
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