批評祭参加作品■詩について書いてみる 詩は歌うもの 物語は読む物
よしおかさくら

 難しいことはわかりませんが、詩について思ったことをそのまま書いてみます。詩がもっと歌われることを信じて。



 詩を書こうとして書く人も、書いてみたら詩になった人もいると思う。例えば、「かなしい」という一行があるとする。けれどもしばらく日が経って、どう「かなし」かったのか、なにが「かなし」かったのか、はっきりとは覚えてないことに気づく。それで具体的に書いたりする。テクニックはそれに伴って鍛えられる。はじめは模倣から始まるのではないかなと思う。世の中には古今東西、詩人がたくさんいる。気に入った詩人の作品を真似て、書いていくのだろう。隠喩、暗喩、風刺とか覚えたりしてね。同時に詩人のプロフィールを知って、深遠の淵に立っているような気持ちにもなるだろう。なぜかはわからないけど。
 その後、喜怒哀楽だけではない、複雑な感情を表現するようになる。感情だけでなく、どうしようもない痛みを詩の中で知る。楽しかった詩が苦行に思えたりする。だって、ぴったりな表現が見つからないまま朝が来てしまった。なぜこんな思いを? もちろん、詩にとりつかれているから。詩を書いている時は無心になれる。それでも、機械的にひたすらペンを走らせる人もいるだろうし、ノってこなければ書かない人もいるだろう。かといってここまでくれば腕に差は出ないんじゃないかしら。

 詩には普段考えていることがそのまま出る、つまりイコールが自分になるということだと思う。タイトルの後に名前を書くが、あれは名札のようなもので、その詩には自分の名札がついていると思った方が良い。当然のことだが。自分の名札をつけた詩が、自分が作った詩を歌うのだ。
 詩は歌である。メロディは無くとも、歌になって読み手の胸に響くよう書かれたものである。わけがわからずとも、人生の局面において思い出され、初めて意味の通じることもあるかもしれないと思う。読み手が自分であったとしたならば、幾度か不意に思い出されて、改めて甦り、歌われなくては、と思うのである。

 一方、物語は読む物だ。字さえ読めれば意味がわかり、感動が自然と伝わってくる。わざわざ自ら考えることはない。体験を重ねて歌う必要がないのだ。詩を読むのには物語を読むのよりも、難関が少し多い。同じ経験がなければわからないままで、素通りする人が多いだろう。また、物語のように続きが気になることもない。その上、割とすぐにその一編は終わってしまうだろう。歌のように暗唱され、覚えられるのならば、詩はもっと歌われるはずだと思う。


散文(批評随筆小説等) 批評祭参加作品■詩について書いてみる 詩は歌うもの 物語は読む物 Copyright よしおかさくら 2008-01-26 00:30:17
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第3回批評祭参加作品