乞食の話
プル式

ティースプーン2本が
彼の人生の全てだった
安いアルミで出来たそれは
既に古ぼけ
2本重ねてもぴったり合う事は無く
カチカチと無機質な音を鳴らした
男はそれが好きだったし
いつもポケットの中で撫で続けた
それが有る限り男は幸福だったし
全てが順調に過ぎている様に思えた

ある日
多分衣替えか何かの折りに
男はティースプーンを忘れた
彼はどうしようも無く不安だった
落ち着こうとポケットに手をやり
カチカチと言う無機質な音を探したが
それは何処にも無かった
その事がまた
彼をそぞろにした

家に帰った彼は
ティースプーンを探した
しかし上着に在ると思ったそれは
何処にも見つからなかった

翌日から彼は
百円ショップから食器屋まで
彼の知る限りの
スプーンを売っている店を回った
しかしそこに在るのは
ピカピカと光り
きちんと重なる
美しいティースプーンだった
喫茶店のティースプーンも見て見たが
どれも男のそれでは無く
皿にかちゃりと音を立てた
見知らぬ人々の思いを混ぜ続けたそれは
男には少し重たい気がした

何も手に付かなくなった彼は仕事を辞めた
もう一度部屋の全てを探した後
僅かな退職金を注ぎ込み
あらゆるスプーンを集めた
しかし幾ら集めようとも
満たされる事は無く
虚しさばかりが積もって行った

そうして気が付くと男は
一部の間でコレクターとして有名になっていた
しかし男はそんな気は無く
売ってくれと言う者や
譲ってくれと言う者には
惜しみ無く売り
迷い無く譲った
そうして代わりにスプーンを手に入れた

ある日彼の古いアルバムから
スプーンが2本
しおりの様に挟まっているのが見つかった
何故そこに挟んだのか彼は思い出せなかった
男はその背をすっと撫でると
並べられたスプーンの1番端にそっと置いた
彼の集めた中で1番安っぽいそれは
もうカチカチと音を鳴らす事は無かった

それからどうしたのかを
私は知らない
最後に男を見たのはいつの事だろうか
私は小さな町でその男にスプーンを売ったのだ
私が乞食になる
少し
前の事だ


自由詩 乞食の話 Copyright プル式 2007-12-20 00:59:21
notebook Home
この文書は以下の文書グループに登録されています。
童話