スーパーマーケットと層の日
サトリイハ

剥いたとて何もないと、よく怒られたのを覚えています。剥いたとて硬く冷たく理路整然とした黒い実がてのひらにころんと転がるわけではありませぬと、怒られましたがしかしあたしは思うのです。あたしが欲しいのはその硬く冷たく理路整然として黒い種子なのではなく、剥く行為の合間には剥かざる行為もあり主体客体逆にしましたならば行為も逆となって存在し、そのミルフィーユ状に重ね合わされた瞬間の集合体であるこの植物を体験すること、それ自体、なのであって、結果として硬く冷たく理路整然とした黒い種子があろうとなかろうとそれには全くもって興味はないのです。剥く意識と剥かれる意識と剥かざる意識と剥かれざる意識がこの薄暗い台所に順繰りに、そう、一本の言い訳無しの直線に並び注射を待つ小学生のように純粋に、繰り返しやってくることの健気さを、あたしからずらしたあたしから傍観することが好きなのでした。そうやってずらしつつ眺めていると時にあたしはこの植物との体験よりもどれほどあたしがあたしからずれてゆくことができるかのほうに集中してしまいちょうど234番目にずれたあたしくらいのとこでハタと気づき気づいたと思うその瞬間にそれはそれは大変なスピードで単・あたしと単・植物に戻るので、よほどジェットコースターなので、わくわくしてしまいまたこの行為すら止められず繰り返してしまうのです、あたしがこの植物を大量にスーパーマーケットにて買い込む理由はそこにあるのです。


初出 新宿金魚街図鑑
http://blog.livedoor.jp/senco_gft/archives/312012.html



自由詩 スーパーマーケットと層の日 Copyright サトリイハ 2007-12-03 00:50:19
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