祝祭
岡部淳太郎

あるいは、その時の感傷、ではなくただの、感情、心の
剥がれ落ちた、かたち、そのおもてを上塗りするように、
すべらないように、注意して、歩いていく、と、見えて
くるものは、「私」のかたちとしての、風景、たとえば
丘があって、そのてっぺんにただいっぽんの、木がたっ
ていて、その葉のうらにむすうの、虫たちが、そこを仮
の宿としながら、住んでいる、そんな古い絵画で、あっ
たのだが、あるものは、いまここになく、ない、という
ことで、そのそんざいが、ますますたしかになるだけで、

あるいは、その方角に向きながら、蜜柑の皮を剥く、終
らない作業、いつまでも、甘い場所にたどりつくことが
できない、そのおもてにとどまる、尖塔のうえに飛散す
る大気、「私」の、または、誰のものでもいい、その皮
膚の手ざわりのような、この道、知られることのない、
知ることのかなわぬ、ただひとつの、むすうの、果汁の
味、引っくり返っては、引っぱり出されては、元にもど
る、そんなぞんざいな、あるかどうかもわからないもの
への欲動が、渇きのように、喉にこみあげてくるだけで、

あるいは、その風にふかれながら、枯れていくむすうの
街路樹をながめる、うらを、おもてを、ばらばらに見せ
て、力なくよこたわる、むすうの葉、それは「私」のか
たち、または誰かのかたち、で、あるかもしれず、かた
い舗道を、めくって雲に、かける橋とするように、喧騒
と静寂の、あいだをつなぐ者となりたい、と、どこの誰
が夢見たのか、すべては足りず、すべての人は連れ去ら
れて、眠りながら笑い、それぞれに浅い素肌をさらして
いて、あるものは、ただここにあるという、それだけで、

あるいは、その気持ちにふれて、気がふれて、そよそよ
と、なでている、だけのような気にさせられて、涙はな
い、雨もふらない、かたまったままで流れる、針と円の
日常の、上をすべらないように歩いて、またひとつ、葉
が落ちる、心の剥がれ落ちた、かたち、をしてあらわれ
る、あの丘のただいっぽんの木は、それぞれの、ただひ
とりの、人の姿のようでいて、そんな古い、やがて色あ
せる絵筆で、あったはずなのだが、そのそんざいはここ
にありながら、つぎの瞬間には、ただ通りすぎるだけで、

あるいは、その日がやってきて、いつも同じ日がやって
きて、いつも同じ人がやってきて、おもてでは、また何
かが起こる、誰かが、起こされる、また同じ調子で、祝
祭の音楽がなりひびいて、ただそんなような気になって、
目を上げさせられて、いるだけで、それだけでもういっ
ぱいで、「私」は剥がれながら、今日もある、いまの悲
しい風景を見ながら、とりあえず、生きる、ああ、世界、



(二〇〇七年十月)


自由詩 祝祭 Copyright 岡部淳太郎 2007-11-27 08:52:18
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