火垂るの墓
めぐちみ
初めて火垂るの墓をみた。
衝動的に感想を書きたいと思ったので書く。
しかし私は頭が悪いので上手な文章は書けないし、
「そこは違う」
と言われても、反論できない気がする。
とりあえず、反戦映画だと思っていたけど、違った。
確かに戦争の悲惨さは「時代背景」として伝わってきたけど、
それが本当の主題とも思えなかった。
兄の強すぎた妹への愛情が、
妹を栄養失調にした。死なせてしまった。
「いきすぎた愛とプライドの結末」を物語っているのだろうか。
遠い親戚のおばさんの家を出るシーンがある。
清太は居候させてもらっている身であるが、
手伝いなどもせず、毎日妹と遊んでばかりだった。
始めのうちはおばさんも特に何も言わなかったが、
「疫病神がやってきた」「居候の身で、何の役に立たない」
と、次第にたしなめるようになった。
「もうおばちゃんのところは嫌や」という節子と
「誰にも邪魔されず、愛する妹と2人で暮らしたい」という清太の思いは一致し、
二人はおばさんの家を出た。
誰も使わない防空壕に引越し、
"14歳と4歳で、生きようと思った"。
清太は自分の力だけで最愛の妹を守り、生きていくつもりだったが、
この時代背景も含めて、そんなことが許されるはずもなかった。
食料を手に入れることは難しく、飢えは限界に達していく。
すがる思いで農家のおじさんのところへ食料を分けてもらいにいったときに、
「きちんと謝罪してあの家にいさせてもらいなさい、
そうでなければ、この時代を生き抜くことはできない」
というアドバイスもあったのに、
それでも彼は、"14歳と4歳で、生きようと思った"、のだ。
既に節子は栄養失調により衰弱していた。
このとき自分の信念を曲げてでも、
おじさんのアドバイスに従っていれば、
節子は死なずに済んだかもしれない。
あまりにも強すぎる妹への愛が、
虚しいプライドを作り上げてしまったのではないか。
そして妹は、その犠牲になってしまった。
そう思えて仕方なかった。
"14歳と4歳で、生きようと思った"
単なる戦争孤児の叫びでもなく、
兄弟愛と一言で言いくるめることもできない、
意味深なキャッチコピー。
時代背景は確かに戦争であった。
しかしこの悲劇が、すべて戦争のせいと言えるだろうか?
*不快な思いをされた方、ごめんなさい。