客観的なドッペルゲンガー
榊 慧
金属製のペインティングナイフでキャンバスに油絵の具を塗りたくっている。
イーゼルの横にある机にはテレピンと絵の具が付いているらしいパレット。
伸ばしている途中の中途半端な長さの髪が、どうしようもなく鬱陶しいとぼんやりと思う。
何を書いているのかは、まだ分からない。
客観的なドッペルゲンガー。
大きな、大きな、とても大きな、キャンバス。
憧れている。漠然と。
何を描こうか決まっているわけでもなく、漠然と憧れている。
小さいところで育ったので、大きなものに憧れるのだろうか。
井の中の蛙、大海を知らず。
されど、空の高さを知る。
油絵の具を食べるように生きている。そいつは。
けれど何時も顔は描かないでいる。何故なんだ。
何故、顔を描かない。
人形のようなヒトのような区別の付かないものしか描いていない。
口、が描いてあるやつはいくつかある。
鼻、も描いてあるやつはいくつかある。
しかし、目はどれを見ても描けていない。
そいつは、ゴッホが好きだった。
魂を削ぎ落とすというか削って出来た作品に上手い言葉が思いつかないほど焦がれている。
そして、本来そいつはそういった類の絵をかく奴だと思う。
しかし、まだそういった類の絵は描けていない。描いていない。
絵が描きたい絵が描きたいと思いながらダラダラと時を過ごしている。
通信制の教育も一応受けているらしいが最初の課題すら提出は出来ていない。
それでもそいつは絵が描きたくて描きたくて辛抱たまらない。
けれど。
常に何かに追い掛け回されているようだ。
早く、遅れた分の勉強すれば良い。
課題のデッサン早く描いてしまえば良い。
そう自覚しているにもかかわらず、結局どれも出来ていないことでまた頭を悩ませている。
莫迦だなァ。
これも自覚しているらしい。
環境の問題もあるとは思うのだが。
そいつにとって、描ける場所も勉強できる場所も休められる場所も、何ひとつ無い。
損な人間なのだ。
そいつは、本気になったことも、なれるところも無い。
いつも何かしら不都合があり、邪魔が入る。
しかもちょっとばかし特殊なヤツなのでまた厄介だ。
顔が描けないのは、そういうことも関係あるのかもしれないと推測する。
伸ばしている途中の中途半端な長さの髪が、どうしようもなく鬱陶しいと今度は強く思う。
けれどここで切るとまた伸ばすとき面倒だと思い直して潜っていく。
そいつは、訳も無く泣き出したい感情にいつも駆られている。
これを直せるのは、そいつ自身しかいないと思っているようだ。
絵が描きたいと思いながら、
客観的なドッペルゲンガー。
まだそいつはペインティングナイフで油絵の具とキャンバス相手に闘っているのだろうか。
あのガソリンくさい匂いにあふれた空間もふと懐かしくなる。
そしてその世界に浸れたらとそいつは無意識に願うはずだ。