亡霊の午後
ホロウ・シカエルボク
目標のために歩きすぎた男が疲れ果て国道の自販機にもたれる
もはやそれが何のためかも判らず、目はかすみ、喘ぐように
排気ガスと埃に汚れた空気を吸い込む
ああ、あいつの心はもうすぐ折れてしまいそうなのだ、俺は
大通りを挟んだ向かいのパスタ屋でそれを見ていた、美味くもなんとも無いナポリタンを喰いながら(だいたい海老が小さすぎるんだ)
男は苦しそうに胸を押さえていた、どこかを悪くしているのかもしれない
海老が小さすぎる、と俺は口の中でぶつぶつ言った、光景を目にしている自分を
どの位置に置いたらいいのかよく把握できなかったせいだ
飛び出していって抱えあげてやるべきなのだろうと思う、少しは
だけど俺には判らなかった、あの男がもうすべて諦めてしまったのかどうかが
手を差し伸べる事は時々酷い侮辱に相当する、そんな心を俺はまだ知っていた(少なくとも俺の中にもまだそれはきっとあるのだと)
俺はしばらくの間車の流れを疎ましく思いながら男の様子を伺っていた、が
(果して海老は本当に小さすぎるのか?)という疑問に不意打ちを喰らい
皿に目をやって数秒間が過ぎた(海老は思ったより小さくはなかった)
顔を上げると男は血を吐き出していた、口の中から真っ赤な柱が
真っ赤な柱が生まれたのかと思うくらい大量の血液だった
もはや俺に席を立つことが出来るはずもなかった、俺は彼について
何かを判断できる材料などあるわけがなかったのだ
おそらく看護士なのだろう二人の女が駆け寄って男を介抱していた
俺は節目がちにそれを見つめながらナポリタンを食べ尽くした
のんびりとテレビに没頭しているように見えた店主は
皿が空くとすぐにコーヒーを持ってきて皿を下げていった
俺はその速やかさに少し感動した
コーヒーに少しだけミルクを溶かして口に運ぶと、それはナポリタンよりもずっと印象的な味がした
車の流れが途切れて救急車がやってくるのが見えた、介抱した女達はあれこれと救急隊員に状況を語っていた
彼女達が少し
上着に付いた血が見えやすいように身体を動かしたのは偶然じゃないだろう
やがて救急車は男を乗せて走り出し、女二人は(ふん、当然のことをしたまでよ)という感じで
現場の近くの喫茶店に悠々と入っていった
俺は勘定を払って店を出た、「またどうぞ」と店主はにこやかに言った
俺はまた来てもいいなと思った
歩道橋を渡って男が血を吐いた辺りに行ってみた
すでに血は軽く流されたあとだったが
そこにはたしかに尋常じゃない残像とでも言うべきものが漂っていた、俺は男がもたれていた自販機でスポーツドリンクを買った「俺が諦めていないように見えたのか?」すぐ後ろで誰かがそう呟いた
振り返るとさっき運ばれたはずの男がそこに居た
「あんた、その詩に責任を取ってくれ」と男は言った「俺は生涯目標など持った事はなかった」俺はスポーツドリンクを飲み込む事も出来ずに頷いた男は舌打ちを残して消えた
俺は男が消えた後にぼんやりと立ち尽くした、あいつは俺の詩のことを知っていた…
それ以上スポーツドリンクを飲むのをやめて男の血の跡に置いた
そのあとに続けようとしていた言葉はどうしても思い出せなかった