詩集に纏わるエピソード (1)
深水遊脚

 詩作品がうまれて、詩集という形になるまでには様々な出来事がある。大部分は詩集を手にする読者には分からない。でも時々それらのエピソードの一部が栞やあとがきに書いてあって読者の知るところとなることがある。はっきりとは書かれていなくても大まかな想像はできる程度の手がかりのあることもある。こんなこともあった。古本屋で手にした詩集に、著者からの自筆の手紙がはさまっていたのだった。古本の売主、つまり詩集を贈られた人がその手紙を詩集と一緒に保管していたのだ。意地悪な想像をすれば、贈られた詩集がそのまま一度も開かれずに、何年かして手紙もろとも古本屋に流れたとも考えられる。でもせっかく想像するならもっといいほうに考えたい。著者の手紙をみて、著者のことを思いながら詩集を読んでいたのだと。手紙は栞代わりにして、詩と手紙の両方を慈しみながら本棚に大切にしまっていたのだと。古本屋に本が流れるのは、不要になったときばかりではない。いろんな事情があるのだ。詩集を作るとき、贈るとき、起きる様々な出来事に思いを馳せるのもなかなか面白いものだ。純粋に詩と向き合うのとは違うけれど、こんな楽しみ方もいいと思う。

 今回私が手にした詩集の中でも、興味深いエピソードのあるものがいくつかあった。嵯峨信之氏による『時刻表』では、詩集の題名を変えてしまうほどのエピソードが著者自身によって栞で語られていた。北岡都留氏の『空の重ね着』では、様々な人の生き方を静かに見つめるような詩が印象的だった。伊藤芳博氏の『家族 そのひかり』では、より著者に身近な家族とのかかわりが詩のなかにあふれていた。斉藤圭子氏の『蒼茫』でも絵画のことや詩のこと、それにまつわる人とのかかわりがいろんなかたちで詩に現れている。詩作にかかわるものもあった。松田研之氏の『ねぶかの花』のタイトルは、著者の敬愛する詩人、木山捷平氏の詩から来た言葉である。同じ詩集の「物置で」という詩には、かつて詩学(東京詩学研究会)にともに集まったひとたちの思い出が綴られている。

 と、このようにつらつらと書くだけでも仕方ないので、特に印象に残った詩の数行を選んで引用しつつ、展開してゆこうと思う。




(引用 『時刻表』嵯峨信之)


死は肉体のなかでは死なぬ

思考のなかをほんとうの死はやつてくる

鳥の墓は太陽のなかに在る

そして人間の墓は言葉のなかに在る


(引用終わり)




先に書いた「詩集の題名を変えてしまうほどのエピソード」というのは、こういうものだった。当初この詩集の題名を著者は「築地国立ガンセンター病院」にしようと考えていた。著者の妻がそこで生命を終えたのだ。その詩集の装丁を、著者の知人である版画家の駒井哲郎氏に依頼したのだったが、間もなく駒井氏もがんで病床に就き、数ヵ月後に命を落とした。駒井氏の死をきっかけに、詩集の題名を『時刻表』に改めたのだった。そのようななかでできた詩集であるから、「死」について明示的、暗示的に様々なかたちで描かれている。死は特別なことではない。私たちが忘れているだけで、いつ訪れるかがわからないものの、誰にでも訪れることは疑いようのない事実である。だからこの詩集の「死」の多さにいちいち驚くのはどこか間違っている。普段忘れている死、あるいはいい加減な妄想で済ませている死、それが本当はどういうものなのか、それがこの詩集を通じて得られるものであるように思う。ほぼすべての詩の底流に「死」はあるけれど、直接言い当てているものは少ない。引用部分はその数少ないひとつであるが、あくまで一部分に過ぎない。様々なものに潜んでいる、平穏な生活と地続きの「死」を思い起こす様々な詩行の一部に過ぎない。



(以下、次回以降の散文にまわすことにします。締まりのない書き方になることをお許しください。もうあまり時間がありませんが、少しでも詩集に向き合い、少しでも言葉に残して行こうと考えています。)


散文(批評随筆小説等) 詩集に纏わるエピソード (1) Copyright 深水遊脚 2007-11-04 22:55:41
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