と、いうような意味のありそうななさそうな戯言を僕は大きく足を広げて立った状態でほとんど書き上げた
ホロウ・シカエルボク
俺のあたまのなかにひとつの答えがある、おまえのあたまの中にもうひとつの答えがある
それはおなじことについてなのに、まったくちがうことについてのふたつの答えのように見える
だけどそれは間違いなくひとつの出来事に対するそれぞれの答えなのだ
さて、そこで問題は浮上する、おれたちはそれについて必ずひとつだけ答えを出さなければならないのか
あるいはふたつ、もしくはそれ以上の複数答えを用意しても構わないのか―そこのところが妙にはっきりしなくて
ロダンの彫刻のように思案の闇に入り込んでしまっているのだ(だって下手をしたらそこに、答えなんてなくてもたぶんなんとかなるんだというような可能性まで入り込んでくるかもしれないなんてことを考えると本当にもう)
そもそもそれがもともとなんについての答えだったのかもすでにはっきり思い出せなくて
伝言ゲームのように次第に奇形化したそれをさらにこねくり回してああでもないこうでもないと
それからもうだんだん判らなくなるのは承知の上だが
それはセオリーとしておれたちは求めなければならないのだ、かりに答えを求めるまえに
それについて求め始めた動機というのはどんなものだったのだろうかなんてことを考えてみようよなんてことを俺は提案してみる、するとそんなものよりみちだろうとおまえは言うのだ、さもそういうのが楽しいのだと暗に言いたげな得意げな顔をして
「動機に立ち返ってみるのはわるいことじゃない」と俺はさらに食い下がる「動機に立ち返ってみることでシンプルになる、そうすると判りやすくなる」『そうすると判りやすくなる』とおまえは俺のまねをして言う、お前が真似をするとまるで俺はほんものの馬鹿みたいに見える
「いまさらシンプルにしたところでどうなる」とおまえは言う
「いいかげん歳を取った後で子供に返れと言ってるようなものだぞ」悔しいが俺はちょっと言い返せない…それが完璧な理論ではない事は判っているのだけれど、あまりにもうまいタイミングでそう口にされたものだからおまえの言葉は上手く環境に適応してしまった
俺は、本当はもっとすごい真実を知ってるんだぜという風を装って考え込む、同じ線上じゃいけない、同じ引き出しからものを出してきては
もっと奥のわけの判らない引き出しの中から一生懸命重たいものを引っ張り出してこなくては
俺は平静を装いながら脳味噌をフル稼働して新しい感覚を導き出そうと企んでみるが、そのあいだにおまえはどんどんなれた言葉を継ぎ足していく―これは気にしては駄目だ、これは一種の現象のようなもので
一見凄いもののようだが並んでるものはいつもと大して代わり映えのしないものだ…だがしかし、俺が引っ張り出そうとしているものはいつも少々重たすぎるらしい、引き出しの隅で鎮座ましましててこでも動こうとはしない―俺はさじを投げる、そしておまえが半ば恍惚としてぽいぽい放り出していくものをせめても順序良く並べなおそうじゃないかとあれこれやってみる
こういう作業ってちょっとまともなもんじゃないななんて思いながら
俺とおまえは同じものを作り上げたいと思いながらここにこうしているはずじゃないか
俺が苦心して配列しなおした部分はおまえがすべて元に戻してしまう―おまえは反復が好き、中身よりも連続するリズムのような旋律が好き
それで俺はいつもパーカッションのような役割を果たす事になってしまう、それで――
――それでいつも、こんな似たような代物がそこここに陳列されてしまうってわけなのさ、俺とおまえのやってることって一体全体
どこに向かって、突っ走っているって言うんだろうねぇ?