土曜日生まれの水辺
平
(大分時勢的にジェットラグがあります。ご容赦ください、
我が家にはテレビがありません)
*
ブラン城がドラキュラ侯のご子孫に返還されたそうです。
それまでルーマニア政府が、巨費を投じて観光資源として維持管理してきたブラン城。
それがようやっと、ヴラド侯爵の子孫にあたる六十代の男性に返還されたそうです。
ドラキュラ物語の舞台であるこのお城を用いた「ドラキュラランド」なるテーマパークの建設も政府のプランにあったということを知りました。
ぞっとしない話です。
銀座に、今でいうところのコスプレバーの走りなんでしょう。
吸血鬼・ゴシックをモチーフにしたバーがあります。今もあるのかな。
名前は出しません。
店内は真っ赤な間接照明。
テーブルの下には棺桶。
メニューはすべてショップオリジナル。
脚は満足に伸ばせない。、
薄いトマトソースのかけられたライスコロッケを血のなんたら云々と呼称。
値段は阿呆のように高い。
酒も料理も酷い味。
酷い店でした。
過去形で語られるお店となっていることを望んでやみません。
吸血鬼に関する資料は枚挙にいとまがありませんが、
わたしがこれをもって嚆矢とするのは平賀英一郎著『吸血鬼伝承』です。
長身痩躯、白皙の肌に漆黒のマント。
そうした吸血鬼のパブリックイメージは、クリストファーリー以降のハリウッドメイキングであり、民間伝承としての吸血鬼とは、「血を吸う」亡者ではなく、「血を失っていない」亡者であった、ということをこの本で知りました。
死を遂げた農夫の妻が、夜な夜な眠りを襲われる。
そして相手はどうも死んだ筈の夫のようである。
村人は、農夫の墓を掘り起こした。
すると、そこには生前と変わらない、丸々と健康そうに太った血色のよい赤ら顔の農夫の姿があった。
これが、黒マント登場以前の吸血鬼の姿だそうです。
そも吸血鬼でもなんでもありません。
単純に、彼方側に行けなかった人の一形態ですね。
strigoiiという言葉があります。
グーグル伯爵に訊ねれば語義を知ることは容易なので書きませんが、平賀英一郎は、吸血鬼も狼男も鬼火も泣女も、西欧文化圏で語られる怪異はおおむねこのstrigoii(ストリゴイ)という言葉に集約されると説きました。
strigoiiはstrigaの複数形で、strigaは化け物・魔物を意味します。
しかし「魔物」と日本語表記した時点で、原語の原義は変容しているでしょう。
多分、「物」はいらないんだと思います。
人の目と智恵の及ばない、東欧の深い暗い森。
その中に横行する、人の目と智恵を拒む様々な事柄を、現地の人々はstrigaと、「魔」と呼んだのだと思います。
更にさかのぼれば、strigaの語源はラテン語のstrixになります。
これは「叫ぶ・語り放つ」という意味だそうです。
分岐として、物語をさすstoryの語源をこのstrixと定める一説もあります。
何だかよく分からない物事を、分からないまま受け止めて、一人ではよう受け止められなくなって何だかよくわかんねーよと周りの人々と語り合う。
それが吸血鬼や、狼男や、ひいてはそれらの怪異をテーマとする物語の始まりとなった、という考え方は、なんだかとても得心できるのです。
闇を前にして、人間は火を灯します。
それはわー明るくなった、よかったー、というだけの物事ではないように思います。
明るい周り。そして、明るい周りを取り囲んでいる空間は、全然明るくない。
照らされた自分と、それを覆う圧倒的な闇との境目を、人間は火を灯すことで明示化してしまったということも言えるのではないでしょうか。
闇とは「魔」であり、「魔」は大抵理不尽であり、結構しんどい物事でしょう。
それをみんなで少しずつ負担していく。
何らかの理由で仮死埋葬してしまった農夫に対する贖罪を、
村全体がstrigoiiという物語として負担する。
負の負担から始まる人間関係を簡単に破綻させることはできません。
一抜けしたら速攻ユダ扱いですから。
そうした意味で、人間社会における「魔」の負担システムというやり方は、根強く、堅固に、今に至るまで残ってきたのだと思います。
根っこの闇がいつの間にか忘れられ、形骸化した黒マントが翻るとき、そこには何の負債も残ってはいません。
ただ、翻るマントは随分と空虚な物なんではないでしょうか。
ドラキュラランドなるものがもし出来ていたとしたら、
そうした黒マントはよく似合ったことでしょう。
でも返還されてどーすんだろ。
住むの?
そこに翻るマントは、大分萎え切っていると思います。