骨と首の話 その4(完)
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駅前からは、彼の案内によって、私は進んでいった。
はじめのうち、彼がはっきりと道順を指示するので、なんの疑問も持たず信頼して従っていた。
しかし、それはしだいに怪しくなってきた。迷いなく指示する態度には終始変わりがなかったのだが、たとえば、四つ角を右へ曲がるよう指示して、ずいぶん進んだ後に「さっきの四つ角に戻ってくれ」といった後戻りをさせられる。一度や二度ではなく、頻繁に何度もだ。彼の案内が心もとなくなってくるのも無理のないことである。
「問題ない」彼はうけ負った。「決して我々は道に迷っているのではない。大まかな方向は間違いなく分かっているのだから、こうして少しずつ細かい探りを入れながら、確実に目的地に近づいているのだといえる」
「そうですか、てっきり私たちは道に迷っているのかと思いました」と、私は言った。
「むしろ、体の方は大丈夫なのか。休まず歩いているようだが」
「ええ、やはり足が痛みますが、日も落ちてきましたし、真っ暗になるまえに目的地についた方が良いと思います。もう休まずに最後まで行ってしまおうかと」
「まあ、無理はしないように」
私は小さな商店街を通っていた。住宅と商店とがごちゃごちゃ入りまじって続いている、終端がはっきりしない中途半端な商店街だった。夕方、時間的にそのあたりを通行する人はさして多くはなかったが、学校帰りの学生たちが何人か固まって歩いていた。
「街は良い。多くの人や地形が観察できるからな」彼は風呂敷の中でのんきな事を言った。「私は人間が好きなんだ」
そういえば、私も昔は街をぶらぶらと目的もなく出歩くのは嫌いではなかった。いつしか外出が億劫になっていた。それは、骨が軋む体の痛みのせいもあったかもしれないが、今にして思うに、関節が痛み始めるのと、外出が億劫になるのと、果たしてどちらが先だったろうか。両者は相乗効果で互いに強まっていく性質のもののようだ。
ついぞ、私は人間が嫌いになっているようだが、それでしんどい思いをしていれば世話はないことだ。いつも私は物事を複雑に考えすぎている。もっと単純に生きたい。
死は変容だ、と彼は言った。「そこで生命をなしている要素の構成が、別の新しい構成へと移る。今まで私は死なない身だからこそ死を知らず、死を思わなかった。しかし、その不死性というのも、私の首から下の骨と肉体と共に崩壊してしまったようだ。死は常に私の外側にあったが、今は内側にそれを感じる。ところで、生きている人間は死について良く知っているのかというと、そんなことはない。誰でもそれを体験するのは一回こっきりだからな。人は苦痛を恐れているけれど、だが、それがまた生きるということでもある。だから、人は家をつくり、街をつくる。また、神殿を構築し、文明を生み出し、戦争を遂行した。人間は誰しも不安を持っていて、そいつを取り除きたいんだよ。私は今、やがて訪れるだろう最期をさほど恐ろしいとは思わないが、つまり長く旅をしすぎたせいだろう。……おっと、そこだ、その道を右手に進んでくれ」
日は落ちて、辺りはずいぶん暗くなりつつあった。私たちは商店街をずっと前に抜けて、今は住宅地の中の道を通っていた。休まない、と先ほど言ったものの、さすがにそろそろ休憩をいれようかと考えていたところだった。
「ここからは今までとは違う。明らかに夢に出てきた風景のようだ。どうやら、道すじがはっきりと見えてきた」彼は断言した。「目的地が近い」
「よく周りを見てくれ、何かないか」と、彼は言った。
そこは住宅地の一角の狭い十字路だった。
特別な建物が付近にあるわけでもなく、何の変哲もない道だったが、彼はここが目的地なのだと言う。言われるままに辺りを見回してみると、向かい側の道の縁に三体の並んだ地蔵が立っていた。
「ここに地蔵が並んで立っています。そのうちの一つには、首が……首が欠けているようですが」
三つの地蔵があって、真ん中の一体の首が欠けていて、なくなった首はどこにも見あたらなかった。見ていて落ち着かない気分にさせられた。それだ、と彼は鋭く叫んだ。
「さあ、そこだ。その首の欠けた地蔵の上。そこに私を置いてくれ」
「ああ、その……そこは外から視線を隠す遮蔽物が何もなく、通りかかる人から丸見えの場所なのですが……」私はとまどい、躊躇した。
「かまわん。そこに私を置いたら、そなたはすぐさま立ち去って良い。だから、さあ、早く置いてくれ」
彼の口調は切迫しており、私は気おされるところがあった。
私は慎重に視線を巡らして、周囲に人がいないのを確認してから、風呂敷をほどき、彼の首を抱え上げた。出発する前に朦朧としていた彼の表情は生気に満ちており、目に活力の光が宿って、その意識ははっきりと覚醒していた。
私は彼を、首の欠けた地蔵の上に据えた。
そうして置いてみたものの、平衡が上手く取れなかった。両手で彼の首を持ちあげ、少しずつずらしながら平衡を確かめていった。手を離したときに、首がごろんと転がり落ちることになっては、大変である。だが、どうにも首と地蔵のサイズが合わないし、土台となる断面も安定しないので、上手く首を据えることが出来なかった。こんなところに誰か通りかかったら、きわめてまずいことになりそうだ。何か間違いが発生しているのではないのか、と私は不安になりはじめた。
そのとき、それは起こった。
それはひとつの奇跡であった、と……お望みならそう呼んでもかまわないかもしれないが、そんなに派手な言葉が似つかわしいとも思えなかった。光もなく、音もなく、神秘的な紫の煙がもうもうと立ちこめることもなく、天から荘厳な声が降りてくることもなかった。
まず、彼の口が開き、小声で何か言った。
それで、私は顔を上げた。
実際、それは一瞬のことで、そのときにはもう既に終わっていた。突然、私の両手の中で、彼の首は、石で出来た地蔵の頭部に変化していたのであった。
「あっ」私はびっくりして後ずさりすると、道の真ん中に倒れて尻もちをついた。
急いで見直してみると、それはもはや一体の完全な地蔵だった。最初から、ずっとそこにあったかのように、何の違和感もなく。
周囲は静かだった。わずかな日の名残りがあったが、すっかり暗くなっていた。今や、住宅地の一角の風景は、あまりにも日常的で、ありふれたごく当たり前のものだった。そこには、三つの並んだ地蔵。私はキツネかタヌキか、もののけの類に化かされたような気分だった。あまりに急激に日常へと放り出されて、これまでの全てが白昼夢にすぎなかったような印象である。つい先ほどまで、私は物言う生首としゃべっていたような気がしたが、本当にそんなことがあったのか疑わしかった。
感覚や記憶はひどくおぼつかなく不安定なものになっていた。代わりに、体の痛みがあった。蓄積された体の痛みは今までのことが本当のことだと告げており、その痛みだけが私にとっては格別にリアルであり、痛みによって、私は確かに首を運んでここまで来たのだろうと、かろうじて考えることができた。
私はしばらくそこに佇んでいた。まだ、何かがあるべきではないか、と思っていた。もし、それで終わりだとすれば、あまりに急で、あっけなさすぎる終わりだったからだ。両手でぺたぺたと地蔵の首を触ってみたり、その首に「もしもし」と囁きかけてみたり、そこらをうろうろしたりしていた。しかし、もう何も起こらないようだった。これで終わりなのだろうか。
やがて私はその場を離れた。他にどうしようもないではないか。まだ、やり忘れたことがあるのではないかという思いが残り、きょろきょろと後ろを見返りつつ、釈然としない気分で、折り畳んだ風呂敷を手に、駅へふらふらと歩いていった。何ともだらしがなく、しまりのない結末。
これが映画であるなら、このへんでエンドマークが出て、スタッフロールでも流れたら、エピソードとしてきれいに終わりということになるのだろう。そこで約束された時間は美しく凍りつき、作品が完結した以降の時間は存在しない。だが、現実はそういうものではなく、ひたすら終わりなく延々と続くのである。
そこから、駅までの道のりは驚くほど短かった。来るときは、かなりの距離を歩いてきたように感じたが、ずいぶん遠回りをしていたのだな、と思った。
ホームへの階段を上がると、ベンチに制服姿の学生が前かがみになって座って本を読んでいた。
来るときに見かけた学生と同一人物に思えた。まさか、あれからずっとここで本を読んでいたというのか。
前かがみの姿勢も、最初に見た時と同じで全く変わっておらず、そして全然動かなかった。その周囲の空間だけ時間が停止しているかのようだった。
目を悪くするぞ、と少年を見て思った。ちょうど空は薄暮から暗闇に移行し、ホームに並んだ青白い蛍光灯が点きはじめた時間帯で、活字を読むには特に向いてない環境であった。
いったい、周囲も気にならず時間の過ぎるのも忘れて本を読むのに没頭してしまっているのか、あるいは彼にはどうしても自分の家に帰りたくない事情でもあるのだろうか。
後ろからまわりこんで彼の膝の上に開かれた本を覗いてみると、『トニオ・クレエゲル』だった。
ゴウッと風が吹いて、下りの電車がホームに滑り込んできた。ドアが開き、そこから人波が押し出され、私がそれに乗り込むと、ドアが閉まった。電車が走り出し、K駅もベンチに座った学生も遠ざかっていった。
私はもうこの駅で降りることはないだろうな、とその時思った。
電車の中は、会社や学校帰りの客で混雑していた。体のあちこちが痛んでいたが、悪い気分ではなかった。周囲の乗客の、汗の臭いや倦怠的な空気も好ましいものにすら思えた。なんだろう、この楽しい気分は。帰宅ラッシュの電車に乗ることなど久しぶりで、私はここでは部外者だった。周りの疲れた乗客はこの路線の常連にちがいなかった。私もこの帰宅ラッシュの常連客であったなら、この電車に乗るのを楽しいなどとは微塵も感じなかったろうけれど。乗車の区間も一駅だけだし、日常から遊離した部外者だからこその妙に浮かれた気分に憑かれたということだろうか。
それにしても、生首だった彼は、石の地蔵に変わる寸前に何を言ったのだろう。小声で聞き取れなかった。まあ、もしかしたら、謝礼の言葉かも知れない。「助かった、礼を言う、ありがとう」とか何とか。たぶん、礼を言われる程度のことはしたように思うので、それくらいは期待して良いはずである。だが、聞き取れなかった以上は、どうとも分からないことではあるけれど。
電車はあっというまにN駅に着き、それからは特に語るほどの事柄もなく、私は家へ帰った。
最後にその次の日の話をする。
朝、目を覚ましてすぐに、私は異変に気づいた。毎朝、目覚めると、即座に一日の最初にやってくる関節の痛みを味わって、暗澹とした気分になるのが私の日課になっていたのだが、その日の朝は、体を起こしても、いっこうに痛みがやってこないのである。
私は出かける支度をはじめていた。痛みは感じなかったが、私は非常に慎重に体を動かした。こういう時、本当に油断は禁物なのである。こんな風に、痛みが和らぐことは、これまでもたびたびあった。そんな時には、ひょっとして治ったのだろうか、と期待を持ったりもする。しかしそれは小康状態というやつで、ホッとして痛みのことを忘れかかったころに、突然痛みはよみがえって襲ってくるのである。そうなのだ、痛みってやつは、これまでいつも、そんな具合であった。わずかな希望を与えておいて、それにすがろうとすると、希望は取り除かれる。巧妙に、かつ無残に。全くのところ、絶望と幻滅により深い味わいを与えるためだけに、何もかも仕組まれていると思えてならない。私たちはわずかな望みにすがろうとしている人を容易に笑うことが出来ないだろう。
しかし、痛みは再びやってこなかった。私はやがて職場に着いたが、そこでも痛みが復活する気配はなかった。不思議なほどきれいに、痛みは消えていた。
これを、前日の出来事に関係あると考えるか、それとも関係ないと考えるかについては、自分の中でも結論が出なかった。
「今日はなんだか、その……スムーズですね」
出会った職場の同僚に、いきなりそう言われた。
「スムーズですね、って」私はつい笑わずにいられなかった。「朝イチから、どんな挨拶なんだ」
「だって、なんだか最近体の動きがギクシャクしてたんですもん」
彼女は、私が笑ったのに安心したのか、あけすけにそんなことを言って笑った。
以上が、私が道で骨を拾った話の顛末である。(了)