僕はこんな事を考えている。
プル式
今日は学業がお休みだった為に少々頭を使ってみた。というわけでは無い。初っ端から申し訳ない。すいすい。あ、「すいすい」は「すいません、すいません」という意味で時々僕が使う言葉の一つです。すいすい。他にも、繰り返しの言葉という物は時々使用されている。どうやら僕は繰り返し言語が好きなようで、詩においても結構多用しているなぁ、と自分で思う。自分で思うくらいだから、もしかするとそれ以上にそう思われているかも知れない。特に「プル式」から僕を知っている方は。ネットで知り合い、僕にあった人の半分(といっても3人くらいだけど)は僕のイメージがそのままだと言い、残りの半分(つまりこちらも3人くらい)は全く違った想像をしていたらしい。某嬢にお会いした際には「海の底というか、何かフィルターの向こう側に居るような感じ」という感想を頂いた。海の底、暮らしたいなぁ。大抵の場合、僕はネットよりもリアルコミュニケーターなので、直に会いに行く。時間さえ合えば、いつでも、どこでも、誰とでも。ちなみに、一度知らない人の親族会に出席してしまった事もあるくらい、気安く誘いに乗る。知らない情報は何よりも面白いし、メールよりも電話が好きだし、電話よりも顔を見て話さないと安心出来ない。出来ないというより「言葉以外の何か」が伝わらない気がするのだ。
人と話すときにその人の存在を直に感じる。それは、理屈というより、実感で知っている何かなのだけれど。飾られないリアルタイムの必要性と並列化される空間というか、うーん、なんだろう。とにかく、一つところに空間を作り、共同するという事が重要な気がする。心理的な問題かも知れない。人がそれぞれ持っている空気と言うのが、その人の存在、と言っても過言では無い気がするのだけれど、それって言い過ぎなのだろうか。細かい臨床、検証をする気もないのだけれど、したらちょっと面白そうだ。基準が難しいだろうけど。そんな事を朝、仕事明けにシャワーを浴びながら、ぶつぶつと独り言。そう、僕は結構独り言を言うのだ。しかも一人だと話しかける。
さておき、そこで考えたのが魂の存在。魂についてはいろいろな見解があり、僕は土着信仰やら宗教、地方祭礼などが好きで、小学校の自由研究から毎年寺社仏閣やら祭り、建立の年表、誰が起こし、どう受け継がれて行くのか、などを調べ続けていた(高校までね)周りにいろんな宗教関係者も多く、そういったネタには困らなかったのもあるけれど。お陰で宗教関係者と誤解される事も多々あったが。脱線した。そう、それで、人が入れ物でその中身が魂、と言う発想には抵抗が無い。誤解を恐れずにいうなら、僕は輪廻転生というのが、ある程度のラインであると思っている。ある程度、というのを説明するのに的確な表現が思い浮かばないので、捨て置くことにして、魂の入れ物である肉体が死亡した際に、魂はそれを抜け出し、輪廻の扉へと向かう。とまあ言われております訳ですが(細かいことは突っ込みなしね、説明長いから)釈然としなかった訳です。僕は。先の内容と少し矛盾する話をすると、輪廻は信じても神仏に関しては寧ろ人の創造物でしかない、という判断をしている訳です。
あ、ここから先、ちょっと捻くれますので、ご了承を。
まず第一に、入れ物が無くなって魂が抜け出すと言うのは理解がつく。しかし、そこから純粋に輪廻をする訳ではない。しない者も有れば、する者もある。そうして意図する所に行くかと言うと、そう言う訳じゃない。じゃ、何がそうさせるのか。それは個人の意思なのではないだろうか。個人と言うか個魂?ま、いいや。んでそれがまず第一。で、地上に残るやつらがある。ま、それはそれ。で、抜けたやつはどうなるかってーと、振り分けられる。そう、ここが分岐な訳です。この話にとっても。じゃぁ、なにを基準に分岐するの?って思って僕は納得いかない。何故なら僕は神を信じないから。いや、居たらいいなぁ、位には信じているよ。ちなみに天使と言うのは妖精の一種として信じているのだけれど。またそれた。それたついでに、もう一つ疑問がある。輪廻があるとして、その絶対個数だ。生命は増え続ける。しかし初めはゼロだ。で考えた。魂と言うもの自体が入れ物だとしたら、どうだろう。どういう事かと言うと、魂が入れ物で、それを動かしているものが、意思、だとしたら。意思を分配している一つの塊がある。と言うのはどうだろう。そう考えれば、輪廻の際に分配の方法が見えてくる。しかし、それこそが神なのでは無いのか?という壁。でさらに考える。古代宗教には自然界との共存と言うよりも共同体としての認識が強い。そうしてそれを大いなる意思(神の始まりですな)と見たりしていた。つまり、圧倒的に自然が有力で、人間はその配下的なポジションなのだ。でね、昔の、輪廻とか出来たより前の意識を想像するに、というか、今でも残っている思想だけど「死ぬと自然に帰る」と言う考えに行き着いたわけです。力の元に戻る。力の分配元に帰る。これなんじゃないかと。つまり、これこそが輪廻の輪廻たる仕組みなのでは無いか、と思ったわけです。ロマンスに表現するなら、人は土になり、虫になり、花や木になる。そうして大きな意思そのものになっちゃうわけです。で、思うに、大きな意思とは、地球で、魂と言うのは地球にある。いってみれば、パソコンとメインサーバーの関係。情報の蓄積、並列。だから、地域的な発見や祭り、異称、伝承が同時多発的に発生する。あ、これは別な話か。で、話は地球へと、結論へと移る。
人間の意思たる魂、その意思たる地球、それを動かしているのは何か。という事。多分それは小宇宙で、大宇宙で、と続いていくのだろう輪廻のようにビックバンや、衝突、融合を繰り返し。もうそこまで行くと底なしだなぁ、って感じです。そうそう、最後になったけど、魂を何と見出すか、なんだけど、僕は「認識や判断では無く考える、思考する事」だと思っている。例えばそれは興味であり欲だと。
※いくつかの話が中途で終わってしまって、もう一度手を入れるのが億劫なのでこのままで掲載をしました。平にご容赦。すいすい。