詩集が売れない理由。
角田寿星

今、ぼくのPCデスクには、国語辞典と、二冊の詩集が置いてある。
国語辞典は、わかんないことばがあった時、いつでも調べられるように。
詩集の一冊は、新潮文庫の『西脇順三郎詩集』。村野四郎さんが編集したヤツだ。
もう一冊が、思潮社の現代詩文庫、『荒川洋治詩集』。

西脇順三郎さんのは、高校時代に、西鹿児島駅(当時)近くの小さな本屋で購入した。奥付に「昭和五十九年 二十一刷」と記載されてる。カバーは、とうの昔に紛失してしまった。裏表紙もちぎれていて、もうない。一時期、肌身はなさず持ち歩いていたので、いい具合にボロボロ。真四角なページは、すでに皆無。酔っぱらって読んだりもしたので、本の上面に寝ゲロの染みがついている。
『Ambarvalia』『旅人かえ(へ)らず』は、何度読み返したかわからない。朗読するには、『近代の寓話』『第三の神話』がお気に入り。気持ちに何かエアポケットが生まれたりして、気がつくと、なあんにも考えずに詩集をひらいてながめたりしている。
多分ぼくは、この詩集を、死ぬまで所有してるんだろうな、と半ば確信しているよ。

荒川さんのは、西脇さんのよりはボロボロではないが、外装の透明なカバーは、修復不可能なほどに破れてしまったので、捨ててしまった。どうでもいいような帯も附随してるが、現在はそれが取れかかってて、ピンチ。
これは7年くらい前かな。成田のくまざわ書店だったと思う。千葉には珍しく『詩学』を入荷していた本屋だったので、よく利用していた(註:今は入荷してないようです)。立ち読みで読んだ『水駅』に衝撃をうけて、購入。そういや、西脇さんも、立ち読みで『天気』を読んで、「これ買わなきゃ絶対に後悔する」て思ったんだよな。
荒川詩集は、現在のところ、勉強用。『水駅』を穴のあくほど見つめては、どういうふうに評論してみようか、そんなことを考えてる。時に『娼婦論』や『鎮西』も読む。

あとのお気に入りは、黒田三郎さんかな。高校の先輩にあたる人なので、昔から親しんできた詩人のひとり。時に本棚から引っぱりだしては、『夕方の三十分』とか読んで、ジーンとしたりする。『紙風船』?暗誦してるに決まってんじゃん。

『詩学』10月号で、岡田芳郎さんが、石原吉郎さんの詩を紹介してて、ぼくはそれをイッパツで気に入ってしまった。『自転車にのるクラリモンド』。何度も何度も朗読して、いろいろと表情や調子を変えて読んでみて、カミさんには「うるさいよう」て怒られて、すっかり暗誦してしまった。岡田さんのこれは連載なんだな。次回が少し楽しみ。石原さんの詩集は、多分買うことになると思うけど、もう少しお気に入りの詩を増やしてからにしようかなと考えてる。
そんな「詩集買おうかな」候補の詩人が、他に3、4人ほど。


うん。詩集て、売れないんだろうな、やっぱり。


散文(批評随筆小説等) 詩集が売れない理由。 Copyright 角田寿星 2007-09-26 22:32:07
notebook Home 戻る  過去 未来