ジャズ・バー
渡 ひろこ

あなたの行きつけのジャズ・バーへ
初めて連れていってもらった
薄暗い店内は煙草の匂いが染みつき
レトロな丸いテーブルと椅子が
老舗といわれる趣を物語っている


店のウエイターがにこやかに挨拶すると
あなたは馴染み客らしく
軽く手をあげて応えた
席に着くとほどなく演奏が始まり
ピアノトリオの軽快なリズムが響きわたる


大人の世界をのぞいたようで
何気ない会話と甘いカクテルだけで
つかの間夢心地だった
勧められるまま何杯か重ねたせいか
アルコールがまわって上気した頬が熱い


ステージではいつの間にか
ゆったりしたピアノソロに代わり
途切れた会話の透き間に
音楽が流れこんでくる


あなたは目を閉じ聴き入っていた
ピアニストが奏でるムーディなメロディは
空間さえも甘い琥珀色に変えてしまう


タッチのやわらかさ
和音の響き
くすぐるようなトリル


ピアノから語りかける音は
こんなにも切なく私の中に入ってくる
脳が痺れそうな感覚・・・
あなたも同じ音楽の中を
漂い酔いしれているのがわかる
だけど・・・


同じ空間と音楽
蕩けるような感覚を共有しているのに
やはりあなたは遠い存在


こんなに近くにいるのに
手をのばせば触れられるのに


そっと耳をあなたの胸にあて
音楽と共鳴する
あなたの鼓動が聴きたかった
寄り添ってあなたの温もりを感じたい・・・


夏の短い物語が終わるように
ピアニストがラストの曲を弾き始める


「アンコール!」
拍手と歓声のざわめきの中
あなたは
ゆっくりと目を開けた・・・




自由詩 ジャズ・バー Copyright 渡 ひろこ 2007-08-24 19:11:38
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