髪長小町
蒸発王
姫様は
長い長い
艶やかな御髪を持った
小町と呼ばれる姫様でした
『髪長小町』
私のお育てしたお姫様は
それはそれはお美しく
雪よりも透けるような白さに
眼尻と唇だけがうっすらと赤く
一重の睫の間からは
夜空の闇と光を零れさせておりました
うりざね顔にすっと通った鼻筋が
聡明で
笑えば
桜の花が咲いたようなお方でした
もっとも
うら若き乙女ですもの
殿方に見せる姿など
牛車の御簾からちらりと魅せる
長い髪の毛だけでございましたが
噂は呼ぶもの歌うもの
あんなに長い髪の毛を伸ばす
あの姫様は
きっと
お美しい方に違いない と
殿方は囁くのです
たしかに
姫様は美しいお方でした
けれども
皆は知らなかったのです
姫様の髪が
どうして伸びるかを
この世にお生まれになって
5年も経つまで
姫様には髪の毛が生えませんでした
本当のことでございます
私がお育てしたのですから
北の方様も
納言様もたいそうご心配になって
仏僧や陰陽師などにかつぎこみましたが
さっぱりで
次にお生まれになったのが弟君だったものですから
いつのまにか
姫様は二親に見捨てられておりました
ええ
ひどい話です
それでも幼い頃から聡明な方でしたから
言葉を覚え
文字を覚え
色々なことは判っておりました
自分が見捨てられたことも 判っておいででした
5つになられた時
姫様はひどく思いつめた様子で
私に向き合い
母さまは厭だ
父上は嫌いだ
と
初めてご両親について話されたのです
何回も
何回も
同じ言葉を私に繰り返すうちに
小さな瞼から涙があふれだし
その瞬間
涙が流れるように
御髪が伸び始めたのです
御髪が伸びるのは
姫様が
嘘をついた時だけでした
髪が伸びて
貴族の姫らしくなった姫様に
離れていた人間はどんどん戻ってまいりました
姫様は
皆大好きよ
と笑って前髪を伸ばし
隠れた顔を私に向け
お前だけは大嫌いよ
と泣いて
ますます顔を隠しました
美しく成長した姫様には
毎日恋文が届きました
姫様は
歌を大変上手に嗜まれましたが
お返事に歌を作ると
必ず
御髪が伸びました
婆や
どうして人は
この髪を美しいと言うのかしら
それも また
嘘なのかしらね
姫様はそう笑って
笑顔のせいでしょう
また少しだけ
御髪が伸びました
そんなときです
百日通えば
貰われてくれるかと言いだした
酔狂な男が現れたのは
姫様は笑われて
やれるものならばやってみろ とおっしゃったのです
本当に
たいそう笑われて
その笑いに
御髪は伸びませんでした
一 十 四十 七十
男は通い
必ず歌をおいていきました
姫様の返歌はたいそうつれなく
少しだけ
思わせぶりなものばかりでしたが
御髪は伸びませんでした
百
日
ちょうど
其の夜は雪が降っていて
たいそうな冷え込みで吹雪き
夜が明けた
百一日目
男は路で冷たくなっておりました
手には
百日目の歌
姫様は 静かに
静かに炭を擦り込むと
百編目の返歌を書いて
恋しい と
書き終えた瞬間
やはり
静かに
涙を流しました
激しい涙では無く
ただ
水無月に降る長雨のような
長い長い
涙でした
涙を流すうちに
御髪は伸びるどころか
するすると縮み始め
やがて
髪を無くした姫様は
いかに嘘吹こうと
もう
御髪が伸びることはございませんでした
最後に掴んだ
本当 を
百編の歌 を
口ずさみながら
尼に身をやつし
菩提の旅に出かける後ろ姿が
私が
姫君を見た最後でございます
『髪長小町』
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【女に捧ぐ白蓮の杯】