野畑〜生えた先の双葉
鯨 勇魚



あたしを土壌にして
きみの心を蒔いて
あたしは水をあげて
とけて
てのひらかざすみたいで
自由の光りは湾曲して
吸い込まれて
それって
ふわふわで
白いの息だよねって

沢山たくさんの
ためいきに

(ついてきて)

きみとの
想い出を詰めます

ぶらんこ漕いで遊んでいます
こどもたちがいて
きみと生命の潮流に
カ ラン
酸素は痛いとつぶやくのです

 おひさまに
 さようなら
 みなさんさようなら
 しないとだから

後ろ手にきみには

 ふ わら

と鳴き交わし夜風まで
流して薔薇に額を引っ掻いて
瞳はとちのようで
きみがはじけて
希望って
おおきく背伸びするのって
激しく誕生の光りで
おおきく泣いて
薄くわらってもいて

だれかしらが
あたしの境界線から
蔦が地面から
入ってくるよと
そのことをいうの

丘の下に
地の底に
きみの実
ひそやかに

(みず に ひたる)

心の浸食を
どうにかしてよと
川沿いのあき缶に飛び降りたり
確認は一度っきりって
決めたように笑いぐさ
あき缶は蓋が幌のように
柔らかく
やわらかく

中身が全部
きみの夢うつつ
の中に落ちる
それはいけないことなんだよ

  あの瞳は
  地球かもしれません
  砂を丸めて
  固めた
  割れるなら 割れるなら
  ひそやかに水は
  ながれていますから

逃げてしまってはいけません
あたし≠きみ
おふとんふわり
きみ=あたし
しろいシーツと
きみのなかをかきわけて
見つけだす心は
ひとつなのです

いつもの画面をみつめて
あたしの残炎なのかしら
それを擦るように
触れた後です
違う人のおふとんで
ガムを噛んだ記憶だけ
夢でしょうと
吐き出したくなります

  それはあの夢の
  皮のささくれ立ちる
  それらからは
  滲むその無数に合流しあい
  源のきみともひとつなのかも
  しらないけれど
  あたしは眼がさめて
  夢だよとあんしんは
  まだ明けきらない
  朝焼け無しの
  水の音

しらない男の子が
誰?て聞くのは

  まだ 夢の中だろうと
  あかんべぇをして
  から細く蔦を巻いて
  全滅した他者という蚕

すきなのよ

だきしめてくれます
どれも夢で脱色された
今も夢のふところ
相対的な現実で
また眠りによりそいます
そして
種だったはずのきみには
変化をそして
あたしには
芽が生えはじめていました
無造作にちぎってしまう
真っ白い
病棟の廊下に
万年筆で爪を入れるように
引っ掻くのは痛いの

見慣れた風景には
いつもと違っていると
きみは言う正しいは何?

あたしときみが
それを見つめた先と
太陽はまだ見えないでいます

細い言葉の海に浅瀬
なりきれやしない
そぶりのきみなら
芽だけが

ひょこひょこ

大地を叩いています
きみはのびきるまだ途中ですね
時間の方向性を探るまま
桑の葉をたべつくしています
その先は口の無いまま
存在の意味をみつめます

あたしは暮らしの中のきみ
リチウムの色合いです
はじけて双方を
捜しています
みつけてほしいのです
しっているのでしょうね
まだのびていますから
眩しいでしょう
薄目開けながら
かざしてごらんなさい


自由詩 野畑〜生えた先の双葉 Copyright 鯨 勇魚 2007-07-10 08:57:27
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