父
円谷一
父が死んだ時 私は少しも悲しまなかった それは幼児期に虐待を受けた
トラウマなのかもしれない
私にとって 父親とは 暴力以外で存在
できなかった
全身が暴力の固まりで
それは私に無言の圧迫感を押し付けられて 窒息死しそうだった
やっと全てが終わったと胸の奥に
平和が訪れていた
いつも母親に暴力を振るいそれでも
満足せず我が子の一人っ子の
娘までも虐待した
仕事場では温厚な父が家に帰った途端
性格が変わって酒乱のまま
鉄は熱いうちに打つと言ったように
感情が冷静さを取り戻すまでそれは続いた 荒れ果てた家の内部を見て
冷静になった父は一人静かに片付け始めた
会社での人間関係のストレスでそうなる
ことは一目瞭然だった
私が腕に青タンを作って行った学校では
そのことでクラスメイト達がDVだと
冷やかして私の席を囲んで
ぐるぐる回っていた
私は両手で耳を塞ぎ俯いて机をじっと見て 涙を流しながら青タンの傷みを
微かにずきりと感じた
やがて私は不登校になり毎夜
虐待を受けながら
通信制の中学に進学することにした
中学2年の春を過ぎた頃に
とうとう父親は母を暴力で殺してしまった 私は施設で勉強するようになり
悲しみや絶望が無くなった代わりに
母という唯一の希望を亡くしてしまった
父には15年の実刑が下され
拘置所へは一度も面会に行かなかった
あっさりとした裁判が終わり
刑が確定され 刑務所に移されても
当然の如く一度も面会には行かなかった
施設では優しい人々に囲まれて
幸せな日々が続いていた
歳月が流れてある日父親から
一通の手紙が送られてきた
私はそれを開きもせずに焼却炉の中に
放り投げた
それからというもの幾つもの手紙が
届いたが 全て無視して燃やし続けた
通信制の高校から母が私が小さい頃から
こつこつ溜めていたお金があったことが 分かり 私は東京の大学に進んだ
大学時代でもまだ腕には青タンが
胸の奥にはトラウマが残っていて
好きになった男性に対して
恐怖を抱いていた
私は一人で悩むのが限界になり
精神科に通って今までのことを話し
徐々に障害が消えていった
大学院まで彼と一緒に行って
数年の交際を得て 結婚することになった しかし父が刑期を終えて
私達の元へやって来た時
私は再び病院に通うようになった
父は度々やって来ては「すまなかった」を 繰り返し自分が癌で余命がないことを
告白した
結婚式は父を呼ばずに挙げた
その直後に父親は死に
葬式の喪主は私になった
何の感情も無い私が何故か涙を流していた