「正しい事・間違っていない事」〜ドラマ「わたしたちの教科書」から〜
北乃ゆき

http://wwwz.fujitv.co.jp/kyoukasho/index2.html
「わたしたちの教科書」公式ホームページ

わたしたちの教科書」というドラマを久々に欠かさず観ている。このドラマは論点が沢山あるので一度には書ききれない。それだけ丁寧に精密に作られたドラマだと思っている。その中で伊藤淳史演じる加地耕平という人物について思う事をあれこれと書いてみる。

★とある公立中学で2年生の明日香が飛び降りて死んだ第一話からこの物語は始まる。明日香の死はいじめに原因がありそれを防げなかった学校に責任がある、とかつて明日香の義理の母親だった弁護士、積木珠子が学校の闇と闘い、裁判を通して真実にたどり着こうとする物語。加地耕平は明日香の2年時の担任教師である。複雑なストーリーなので詳しくは公式ページを見てください。

★特筆する事の多いドラマだけれど、私は9話終了まで観てこの加地という新人教師の描き方がとりわけ秀悦だと思った。
第1話、ドラマのキーパーソンである明日香がまだ生存している時、1人校庭で佇む明日香に声をかけ、人の関係の素晴らしさを説き、明日香に「先生になら言えるかもしれない」と閉ざした心を開きかけさせた人物が加地だ。物語の前半で加地はいじめによって死んだかもしれない明日香の為に奔走し、真実の為に熱い情熱を傾ける。熱血教師の典型のようなキャラだ。

★ところが、第5話で加地は急に態度を変える。1つは明日香をいじめていたのでは?と疑っていた自分のクラスの生徒に「先生は僕達が明日香さんを殺したと思っている。だからクラス全員が先生を嫌っている」と言われた事。加地はこの言葉を聞いて呆然とする。明日香の死に拘るあまり、いじめがあったかどうかも解らないのに生きている生徒を疑い心を傷つけた事を悔いたのだ。隠匿する学校の代表者だと思っていた雨木副校長が実は明日香の墓に明日香の好きな花を供えた人物である事を知り、自分が思っていたような冷たい人物でないと知った事。つまり自分が明日香の自殺の真相を突き止めようと「悪」と思っていた人達の姿が「悪」ではないと認識したのだ。

★一転、5話以降の加地はあくまでも明日香の死の真相を突き止めようとする珠子と対立する。加地の正義が5話で彼が知った真実により180度変化した結果だろう。まったく逆の行動をしている様に見えるが自分が正しいと思った事に従って行動しているという点で加地の行動は何ら変ってはいないのです。
加地はその後教師として生徒の信頼を得、仕事熱心が実を結び評価され、美人の同僚の先生と結婚しすべてが上手くいっているように見える。しかし一方で珠子により明日香に対するいじめがあった事が徐々に明らかになり、いじめをない、とする学校や加地の矛盾が浮き彫りにされていく。また明日香の死後、加地のクラスで引き続き行われている悪質ないじめを加地は見落としてしまう。そしてこれらを神の視点で正確に観れる視聴者には加地が自らの感じた正義に奢る愚者に思える。

★加地の描かれ方は辛らつだ。自らの正義を信じる彼は自分では何一つ間違っているとは思っていない。しかし彼が見落としている物は確かに存在する。誰が加地を笑えるだろう。加地を笑ったとき人は加地になる可能性を自らの中に生み出すのではないだろうか。人は無意識に自分が理解出来るように物事を捉えたがる。でも現実にそんなにシンプルに構成されているものは少なく、自らの経験や知識を糧に「正しい事」を決めた時、見落としてしまう事が生まれてしまうのではないだろうか。この世界の物事は多くが「間違っていない事」で構成されていて「正しい事」なんてほとんどないのに幾多ある「間違っていない事」の中の1つを「正しい事」としてしまった時に、人は心の視角を自ら生み出してしまうのではないか。

★誰しもが加地になる可能性はある。それは当然この文を書いている私にも言える事で、そら恐ろしくなると同時に、「間違っていない事」を1つ1つ学び、その度にそれを「正しい事」にしない慎重さを身に付けたいと痛烈に思ったドラマだった。







散文(批評随筆小説等) 「正しい事・間違っていない事」〜ドラマ「わたしたちの教科書」から〜 Copyright 北乃ゆき 2007-06-10 10:54:33
notebook Home 戻る