【小説】非習慣的な夜
なかがわひろか

 僕の生活はそれほど毎日劇的なものなんかじゃないし、あるいは普遍的とも言えない。僕は毎日二時間何かを勉強して、本を読み、映画を観て、テレビを観て、夜になったらまた一時間くらい本を読んで、夜明け頃に眠りにつく。朝方に眠る最大の悪いところは、眩しい世界で見る夢は、本当に悪い夢だということだ。
 そんな生活を繰り返しているだけの僕に劇的なことなんて起こるはずもない。誤解しないで欲しい。何も僕は劇的な毎日を期待している訳じゃない。そりゃ時々は、毎日二時間きっかり勉強しに行く図書館で、二週間に一度くらいは素敵な出会いがあったらなんて思うけれど、あくまでその程度の期待だ。だから僕にとっての劇的、というのはつまり、その程度のことなんだ。
 時々僕は自慰行為をする。この年で自慰行為の回数が時々というのもなかなかのものだ。もちろん僕だって性欲はちゃんとあるし、インポテンツになっている訳でもない。ただ、ある意味で習慣的な毎日を送っているからか、自分の一日のスケジュールの中に、イレギュラーな生理現象を持ち込むのが極めて億劫になっているのは認めよう。だけど僕だってれっきとした男な訳だから、ちゃんとそのイレギュラーな生理現象を慰めてやっても良い訳だ。それに対しては誰も問題ない、そうだろう?
 今日の僕は今週二回目くらいの自慰をした。いつもAVを観たりエロ本を見ながらやるのが習慣になっているけど、習慣はやはりとてつもなくつまらないものだ。僕は久しぶりのイレギュラーな生理現象をちゃんと正面から受け止めたにもかかわらず、なんとも味気ないものになってしまった。ほとんど義務だ。習慣を崩してまでしたことなのに、射精の瞬間僕は習慣を一時的にせよ食い止めたイレギュラーな生理現象に本当に正直な虚無感を味わった。これできっと僕はまた何日も自慰行為をすることはない。それだけは、虚無感の中で見つけた真理だ。
 虚無感に覆われた自慰行為をした夜は何にもする気が起こらない。
 僕は毎晩決まった時間に、詩を書いている。どこに発表する訳でもないし、詩人になれるなんて思ってもいない。だけど9ヶ月間、僕はほとんど一日も休まずに詩を書き続けている。何の前触れもなく詩を書くことは始まり、何の前兆のない今でもそれは毎日続いている。
 だけど、虚無的な自慰行為をした夜は、全く駄目だ。いつだって、というとハードボイルド小説に出てくるような男の煙草の煙にくゆらされたような非習慣性を帯びるが、そういう訳じゃない。単純に言おう。とてもやる気がなくなってしまうんだ。
 詩を書いた後は、そこから本を読んだり、映画を観たりする。それはいつものコースで、まさに習慣だと言える。このことを習慣だと言って悪い顔をする人なんていない。こんな夜更けに極めて小さな音で、その習慣をほそぼそと実行している者に世間はとても優しいのだから。
 しかし、非習慣的な行為があった夜はもうどうしようもない。何をする気にもなれない。僕の精子には夜中に毎日の習慣を行わせる何かがちゃんと含まれていたんだ。僕はそいつらに何の親しみも込めず、むしろ嫌悪感さえ示してパンツの中に放出した。そしてすぐさまそのパンツは洗濯機の中に入れられ、浄化されたのだ。洗濯機の中では今も僕の習慣を司る何かがぐるぐると廻っている。
 とにかく僕は今、何もやる気がない。
 いろんな可能性を考えている。
 とても豊満な体を持った女の人が僕に寂しいと電話を掛けてきたときのこと。
 いつもは僕を邪険に扱う近所の幼馴染が突然僕の部屋に入ってきて、同じコタツに潜り込むこと。
 つまり結局は性の話になっちゃうんだけど、そんなことを考えてみたりした。
 多くの男性なら分かってくれるはずだ。多くの男性の妄想は、大体こんな感じで似たり寄ったりだということを。
 とにかく僕はそんなことを10分ほど考えてみたんだ。
 だけど、何にも起こらなかった。
 僕には今、その妄想にしがみつけるような情熱がないんだ。
 だからその妄想はいつもより淡白で、そして淡々とただ一つの科白を棒読みするように終わってしまった。豊満な体を持った女性も、近所の幼馴染に対しても僕は極めて冷酷に対応してしまったんだ。
 つまり、それほどに自慰をした夜のことは、女性の生理のときのように日記にスケジュール帳に○でもつけておいていいくらい、虚無な夜なんだ。そしてそれは心から僕を空っぽにしてくれる。別にそうなりたい訳じゃないんだけど。射精した瞬間から僕のこの夜は始まっていたんだ。僕の習慣は、結局そんな感じで簡単に打ち破られる。こういった夜は素直に眠れればいんだけど。普段真面目に読まない本を引っ張り出して、息もつかずに一気に読んでみたり、とにかくイレギュラーなことが多く起こってしまうんだ。僕はそれを思いつく限り実行していくしかない。それはそれでつまらなかったりする。
 僕のイレギュラーな夜はね、結局こんな風にいつ終わるとも知らず続いていくんだよ。
 やれやれ。
 
話は突然変わって、僕は今から小説の話をするけど、小説といえば、70年代に書かれた小説が好きだ。あの頃は(もちろん僕は何も知らない)、本当にいろいろなことがあった。ただ毎日を記すだけでもとても小説的だった。そんな時代だったんだ(何度もいうが僕はまだ生まれてもいないし、両親は出会ってさえいない)。
 1969年、東大は受験を行わなかった。学生闘争が激しかった時代だ。72年には連合赤軍のあさま山荘事件があったし、その中継の視聴率は今でも歴代一位らしい。ちなみにその日は日本中みんながテレビに釘付けになって犯罪もとても少ない一日だったらしいよ。もちろんこれらのことは僕が二十歳になったとき(ちょうどあさま山荘事件から30年経った頃だった)にたまたま興味を持って調べたことだ。当時の新聞やらなんやらを図書館で調べて(当時僕はまだ大学生だった)、それらのことに胸を熱くした訳だ。だってとても熱狂的な時代じゃないか。そんな時代に生きてみたかったと思うのはとても自然なことだと思う。
 話は戻るけど、70年代について書かれている小説はなんだかそれだけで面白い。むしろずるいとも思う。その時代にはたくさんの良質な音楽も生まれ、今だってその時代の音楽たちは幅を利かしている。70年代に生まれたものは、今の時代でも僕らの生活の中で上位にその席をぶんどっているんだ。
僕らの生まれた時代はどうだい。失われた10年だとか何とか言って、僕らの青春時代、日本はお先真っ暗な陰鬱な時代を過ごしていた訳だ。僕らの世代にわざわざヘルメットを被って、バットだとかそれなりの武器になるものを持っていざ闘争せん、と意気込んでいるやつなんていやしない。いたってそいつらに市民権なんて何もない。僕らは他人といかにうまくやって、そして世間にそれなりのいい評判を立ててもらって、就職氷河期の中なんとか就職をすることだけの人生か、アルバイトをしながら自分の好きなこと(好きなことって結局なんだい)をやって生きるか、それともそれすらせずに日々をのんびり生きるかを選ぶことしかできないんだ。もちろんそんなやつらは世間から白い目か同情色の視線を浴びる。そんな時代なんだよ。嘆いても時間の無駄だ。
 だから僕は(何度も言うけど)70年代に青春を迎えていた人たちを本当にうらやましく思うし、とてもずるいとも思っている。あの時代を生きただけで、それなりの人間になれるなんて、なんだか不公平もここまで来るとどうしようもない。そんな風に思うんだよ。
 そうは言いながら、僕はその時代の書物や音楽は好きだ。現代作家の本や、映画や音楽を読んだり見たり、聴いたりするくらいなら、その時代に生まれた良質(といわれていることにもう口をはさんだりしないよ)な商品を読んだり、見たり、聴いたりして、詳しくなって、あの時代の産物は本当に素晴らしいものだったと知ったふりしながら話をする方が好きだ。それだけで知的に見えるし、通にも思われる。まあそんなことばっかりしていても、簡単にセックスができるわけでもない。フリーセックスの時代なんてとうの昔に終わってるんだ。お金の匂いがしないセックスなんて今やなんの魅力もない。ふざけた時代だよ。ラブ&ピースだよ。うらやましいよ。
 
 自慰行為と70年代の小説について少し語ったけど、これだけのことで僕のことを分かった気になってほしくはないね。何も僕は自分自身が奥が深くて、そのうち大学4年生の卒業論文のテーマとして取り上げられるようなそんな偉い人間だなんて言いたい訳じゃないよ。でも僕だってそれなりの短くはない時間を生きてきたんだ。語るべきことはまだまだ(うん、まだまだだ)たくさんある。だからそんなことをこれから語っていく訳だけど、僕はとても飽き性だから、途中で投げ出して適当なことを話すかもしれないけど(事実ちょっと疲れてるのは否めないよ)、どうかそれに関しては怒らずに付き合ってくれればいいと思うよ。物語はまだまだ始まったばかりだ。ドントマインド。気にせずに行こうよ。

 僕は今深夜の(僕にとっての深夜とは日付が超えたあたりのことだ)バラエティ番組を見ながら書いている。この番組はとても好きなんだ。この時間帯はテレビ局はとてもチャレンジングな企画の番組を流す。ゴールデンタイムにやる番組より、何かに挑戦しようとするその心意気がいいじゃないか。ちなみに今やっていた企画は残念ながら途中から見たからルールが分からないゲームをやっている。さっきから何度か推理をしてみたんだけど、結局どういうルールでやっているのか分からなかった。でもいいじゃないか。そういうところも含めて好きなんだ。だから僕は毎日この時間帯にきちんと起きていられるように睡眠時間を考えながら生活している。筋金入りなんだ。ルールが分からないくらいで嫌いになったりなんかしないよ。

 時々将来について考えることがある。それは僕らの年からしたら当たり前のことだ。その当たり前のことに僕は深く悩んだりする。でもそれは当然のことだから、僕はそのことについて深く友人たちと語り合うことはできない。いや、しようと思ったらできるかもしれない。だけど、僕らはそういった思想的な話をしちゃいけない世代でもあるんだ。そういう話をしたら笑われる。そういう世代なんだよ。
 さっき大学時代にゼミが同じだった友人から連絡あって、彼女はとある大きな大きな会社に勤めていて(ここまで言ったら大体の予想はつくだろう)、この四月から岡山勤務から東京本社勤務に栄転したとのことだった。彼女は学生時代から聡明を絵に描いたような女の子で、カナダににも留学していたし、TOEICなんて僕がいくら勉強しても取れないような点数を取るようなまさに才女だった。顔も悪くない。悪くないだって。君だって見たらびっくりするよ。だって彼女はとっても美人だからさ。何が言いたいって、つまり僕らの世代には同じ様な時代を生きてきたにもかかわらず、彼女のように誰もが理想にするような生き方を特に何の問題も抱えずに送っている人もいるんだ。え、そんな人はいつの時代にもいるだって?うん、そういえばそうだね。70年代にもそういった人たちはいた。それは認めるよ。ただ今の時代に、そんなまっとうな人間らしい生き方をしている人が僕の周りにもいるってことを一応伝えておきたかったんだ。ちなみに僕は何度か自分の自慰行為に彼女をゲストとして招いたことはある。それは白状しておこう。でも誰だって彼女を見たらそうするさ。つまり彼女はそのくらい、手の届く(あくまでいい意味でだよ)範囲でのとてつもない美人だってことなんだ。だから僕のしたことは決して間違っていない。間違っていないんだよ。

 さっきから言おうと思っていたんだけど(いやもう言ったかもしれないけど)僕はいささか疲れてる。そろそろ僕を解放して欲しいとさえ思っている。それは僕の自由だ。でもさ、自由って結局なんだい?僕には未だによく分からないよ。お前たちは自由でいいなって言われても、ええ、すみません、と意味なく謝ってしまうだけだ。よく分からないことを当たり前のものとして意識しながら生きる時代に僕らは生きているんだ。
 ああ、もう限界だよ。そろそろ僕は寝ようと思う。全くこんな話をしちゃうなんて。なんて今夜はイレギュラーな夜なんだ。
 ほんと、うんざりするよね。


散文(批評随筆小説等) 【小説】非習慣的な夜 Copyright なかがわひろか 2007-05-22 01:25:19
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