辺境の路
小川 葉

 阿呆、阿呆と、鳥が鳴く。

 狼狽した末、二日寝込んだのである。大いに酒を飲んだ。目の前がかすみ、起きても寝てもおなじようもので、酒を飲み、ひたすら寝込んだ。

 希望を笑う我人生破滅の路とならむ。

 来れるものなら、ここまで来てみなさいと、言われた。しかし、目がかすんで見えないのだから、笑うよりほかなかった。すると目の前に、破滅の路がひらけた。それは、はっきりと見えた。私は歩きはじめた。

 辺境の路を、さもおもしろなさげに、よろよろ歩く。

 女神たちの宴を見た。真夜中に薄暗い森の中。みにくい宴であった。けっして見てはならない、女神たちの宴を見てしまった。私は狼狽したのである。女神たちは、人間の女そのものであった。いや、女神たちの歪な関わりが、人間の女のそれと、何の変わりがないことを知ったのだ。憧れのヴィーナスさえ、信じられなくなったのである。裏切られた思いがした。

 男はますますだらしなくなっていくのである。こんな男は、世にないだろう。しかし男は、自分を選ばれし者と信じてやまないのである。

 あたりまえである。みなつよい。楽しさは、楽しもうとしなければ、実現しないが、くるしさは、くるしもうとしなくても、勝手にこちらにやってくるのである。だから、ひとは、つよくなければ生きていけないのだ。あたりまえである。

 今日は何曜日? 知らない。
 今は何年? 知らない。
 歳はいくつ? 知らない。

 はなしにならぬ。

 仕合せは、あきらめぬ者のためだけに在り、くるしさは、あきらめた者だけが得られる高級な感覚、などと書いてみる。努力もせずに、自分は選ばれし者、などと書いてみる。

 目的がたいせつである。その目的がまちがいなく正しいと思えるなら、私もあきらめぬ。しかし今はわからぬ。いや、わかっているのだ。知らぬふりをしてるだけ。そのうち寿命がやってくる。

 ひとはだから、それが正しくなくても、それを目標と定め、その達成を仕合せと信じて生きている。この世に高級な志など不要。しかし、その馬鹿げた志を信じることでしか、生きる路を持てない人間は、どう生きればよいというのか。

 ついに、国境に着いた。

 蟻たちが、毛虫の死骸に寄りたかり、巣へ引きずり込もうとしている。十匹ばかりの労働力がかせられた。蟻の何倍も在る毛虫の死骸は容易に動かぬ。それでも蟻は、あきらめぬ。

 蟻さえ、あきらめぬ。

 仕合せなのだろうか、蟻は。おそらく仕合せなど知らぬ。じつに下等である。おれは今、それ以下となって、自分の正しさを証明してみせよう。

 阿呆、阿呆と、鳥が鳴いた。


自由詩 辺境の路 Copyright 小川 葉 2007-05-20 20:38:12
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