おきてなくこの
錯春




 君はどうして台所で食事しているのか、幼心に不可解だったが、幼心に聞いてはならないと、私は、知って、いた。
 
 雪の降った日、病弱な私は靴を隠され外に出れなくされていた。
 家の者はみんないなくなって
 私は君の背中にへばりつき、雪道に出た。
 枯れ葉色の肌着からは焼きついた後の花火のにおいがして
 私を包んだ色褪せたはんてんは、縁日の小川の湿気で
 
 お腹をすかせた雪は、足跡も音も、すべて吸い尽くして、だから
 君の白髪には雪が更に積もって
 濁った両目は雪を映してさらに曇って

 私は、震えないことを知っていて、君の鼓膜に話しかけた
 何を話しかけたかは覚えていない
 夜になってから噴出すような高熱を出して
 明け方私は起き上がって
 君は起き上がらなかった
 
 ただそれだけのことで
 私は気付けば東北の地を離れて平気で埼京線に乗ってたりで
 思い出の水槽の中で
 君は少なくとも七十歳は越えていて
 
 ずっと土と野菜と季節ばかり触っていた君が
 一番多く触れていた皮膚は私の前頭葉で

 思い出が都合が良いのは私自身が一番よく知っているのに
 
 杉の木に雪が天麩羅粉みたいに纏わり付いて
 君の背中は頑丈で

 ねんねこ、しゃっしゃいまーせー
 
 な、くーこーのー、こ、もーりーうたー

 おきてなーく、こー、の、ねんころーろー
 
 こーもりーうたー

 震えない鼓膜で濁った水晶体で
 お腹をすかせた雪が私に歌った
 あの声は
 君の
 ささくれた手は

 眠れなくて、そっと、歌う
 せめて君も私も


 
 ねんねこしゃっしゃいまーせー
 
 泣くー子ーのー子守ーりー歌ー
 
 起きて泣ーく子ーのねんころろん
 
 こーもりーうたー
 
 ねんころろん
 
 ねんころろん
 













 
 
 
 


自由詩 おきてなくこの Copyright 錯春 2007-05-17 22:40:44
notebook Home 戻る  過去 未来