ボルヘスさん
楢山孝介

ボルヘスさんはアルゼンチンの詩人さんだ
彼はいつの頃からか
世界中のあらゆる本が集まる巨大な図書館で
年若い妻と共に暮らしている
盲目の身のボルヘスさんのために
妻は毎日本を読み聞かせる
「昔読んだ内容と違うような気がするな」
「何十年も経てばそういうこともありますよ」

友人の新作の中に
ボルヘスさんを悼む文章があるのに気が付く
「あいつも歳とって呆けたのか」
「何十年も会わなければ、そういうこともありますよ」

妻に口述筆記させた詩が随分貯まったので
ボルヘスさんは久し振りに詩集を出そうと考える
「どこから出してもらおうか」
「あら、もう図書館に並んでいますよ。
 これまで書いたものも、これから書くものも全部」

どんな時代の本も揃っている図書館に
ボルヘスさんと彼の妻以外に人の気配はない
そのかわり、鳥や獣の鳴き声が
ボルヘスさんの耳元で響くことがある
「鳥や獣だって本を読みますよ」
そんなことを言う妻の顔や
図書館の全貌や
本当に生きているのか分からない自分の姿を
見ることが出来ない盲目の身に
ボルヘスさんは密かに感謝する

全てを見通しているかのように
ボルヘスさんの年若い妻は笑う
図書館も笑うように揺れ始める
バサバサと本の落ちる音がする
あるいは、本の飛び立つ音がする


※ホルヘ・ルイス・ボルヘス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%98%E3%82%B9


自由詩 ボルヘスさん Copyright 楢山孝介 2007-05-10 13:26:01
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