ヒューム「ベルグソンの芸術論」(3)
藤原 実

ワーズワスの「詩とは力強い情感がおのずから溢れ出たもの」というコトバが示すようにロマン派の詩人達は人間を無限の可能性を持った湧き出る泉のような存在として考えました。それに対してヒュームは人間というのはきわめて限定された存在で、例えれば一個のバケツのようなものにすぎないと言います。
ヒュームに言わせれば「ロマン主義」というのは、コトバの病を患っているようなものです。世界を「ひとつ」の固定した視点から遠近法的に「ことごとく包括」しようとすること――しかし、「それは象徴的言語の病気」であり、本来「世界は、言語を絶したもの」であり、われわれの言語というのはただ世界の部分々々、断片である、「燃えがら」を寄せ集めつなぎあわせることができるにすぎない。われわれの眼は鷲のように空高くにあるのではなく、泥の中にうずもれているのです。

「宇宙の包括的な機構(しくみ)を見出すには一つの困難がある、そもそも、そういうものはないのだから。宇宙はただその部分部分が組織づけられているにすぎない」

「絶対者は、完全なものと言うべきでなく、よし存するとして、本質的に不完全な、混沌とした、燃えがら然たるものと言うべきである。
……世界は、言語を絶したもの、すなわち、棋子(こま)には帰着し得られないものである。そしてとくに<神>とか<真理>とか、その他そういった口先だけの大げさな文句とか、のような一つの大きな棋子、それは象徴的言語の病気なのだが、の下に、それをことごとく包括することはできない」

「ただ孤立している箇所箇所のみが価値をもっているように思われる。してみると、どうして世界は計画して創られたものと言うことができよう。むしろ、ある箇所箇所が徐徐に計画せられつつあるのだ、とでも言ったらよいだろう。」

「支配的な比喩で全然誤っているのは、取りのぞかなくてはならぬ。というのは、鷲の眼[遠目のきく]という比喩だ。形而上学者は、自分が鷲の眼かなぞで世界を見渡しているものと想像している。
……しかし、眼は泥土の中にある、眼は泥土なのである。純粋に過程全体を見わたすことは不可能である。」

       (T.E.ヒューム「燃えがら ― 新しき世界」/『ヒューマニズムと芸術の哲学』[訳]長谷川鑛平)

世界を有機的な精神を持つ「ひとつ」のもの、湧き出てくる泉のような「深さ」を持つもの、としてとらえようとするロマン主義的言語観はモダニストにとっては討ち果たすべき権威です。
「意味するもの」に対する「意味されるもの」、「主語」に対する「述語」、「問い」に対する「答え」など、これらが結びついてこそ人はその世界を立体的なものとして把握し、その「深さ」に沈み込むことで自らの重みを感じ、アイデンティティを得たような気になれるのです。
そのような遠近法を破壊することでモダニストたちは「純粋詩」を得よう試みました。


「詩は脳髄の中に一つの真空なる砂漠を構成してその中へ現実の経験に属するすべてのサンサション、サンチマン、イデをたゝき落すことによって脳髄を純粋にせしむるところの一つの方法である。こゝに純粋詩がある」
    西脇順三郎(「馥郁タル火夫ヨ」序文)

英国留学中にパウンドなどを通じてイマジズムを知った西脇順三郎は、そのイメージの詩学に感銘を受け、帰国後、北園克衛、春山行夫などとともにモダニズム詩の運動を展開してゆきます。
しかし、


「『オブジェー』の詩をつくる作者は非個性的になるべく外面描写にとどまり、情念やモラルや人生観などすべて内面的なものは排除するのである。」
            (西脇順三郎「詩人の肖像」/『日本の詩歌25』:中公文庫)

というような西脇の詩観は、ロマン主義的な「深さ」を希求する旧来の詩人の有り様からはずれたものであり、明治以後、ロマン主義や象徴主義の詩観を西洋詩そのものとして受け入れ信奉してきた日本の詩壇は、これに反発しました。

「心に真のポエジイを持たないところの、遊びのための技芸家、即ちジレッタント」

というのは萩原朔太郎が西脇に投げつけたコトバです。

「意味の深さは感情の深さに比例し、より情線に振動をあたえるものほど、より意味の深いものである」

「主観主義者の観照は、常に感情と共に働き、感情の中に融化しており、主観と分離して考えられないところの、情趣の温かいものである。これに反してレアリズムの客観主義者は、智慧の透明さを感覚しつつ、観照を意識しつつ観照している。故に彼等は、それの透明を暈らすところの、すべての主観的なもの、情感的なものを追い出してしまう。彼等はアリストテレス的没主観の認識で、事物の本相に深く透入しようと考えている」

「どんな観照に徹した写実主義の文学すら、その真理の深さに於て、感傷的なる恋愛詩の一篇にすら及ばないのだ。故に賢人パスカルはこれを言った。曰く、感情は理智の知らない真理を知っていると。」

        萩原朔太郎『詩の原理』

という朔太郎のロマン主義の詩学からすれば、

「透明な思考というのは論理的に透明というのではなく絵画的の意味である。しかもピカソの透明性というのは絵画上の意味の透明性ではない。線と色彩それ自身の発する透明性をいう。
透明な思考を使用した文学作品はその作品の意味を不透明にする。我々はもはや作品の意味を求めることを止めた。意味の不透明はその思考を透明にすることを証明することがある。」

「……美のための芸術という考えは宝石に加工することであるにすぎない。また炭をダイヤモンドにするという意味にすぎない。僕の求める文学は炭でもダイヤモンドでもない。だが炭を透明な光線にあてることである。アリストテレスの文学論としては炭の真似をすることがポエジーであると考えるし、美のための文学論者は炭をダイヤモンドにすることを考えている。僕の求める文学は透明な光線をつくることである。文学をつくるということは光線にあたる思考をつくることであると思った。」

「新しいボヘミアニズムは理智のボヘミアンである。ルイスやコクトーなどは理智の方である。
……我々は時々メロンに花が咲く夢をみるほどに理智のボヘミアンとなった。想像力は理智の最も優れた形態で、論理的な認識のみが理智ではない。」

        西脇順三郎『文学青年の世界』

というような西脇のモダニズムの詩学が受け入れがたいものだったろうことは想像がつきます。

「私の詩風はおだやかにして古風である。これは情想のすなほにして殉情のほまれ高きを尊ぶ、まさしく浪漫主義の正系を踏む情緒詩派の流れである。」

と詩集『青猫』の序文で自己規定した朔太郎からみれば、「オブジェ」の詩などというものは、表面的でうすっぺらなもので、およそ詩と呼ぶに値しないものと映ったのでしょう。

モダニズム詩のスポークスマン的存在であった春山行夫は、このような朔太郎の態度を「その主張の根柢に文学の歴史的概念を欠く」ものとして激しく攻撃しました。

「[萩原朔太郎]氏はその詩論にあっては
 1 詩の歴史的概念
 2 それのポエジイとしての批判的位置
といふ二つの基礎条件に於てすら、いつも既に第一の歴史的概念から、てんで混乱して、その実体を明瞭にしない。従つて、第二のポエジイとしての批判などといふものは、殆んど掴んでゐない。のみならず、氏の「詩論」の根柢は、氏の脳髄にあるといふよりも、寧ろ氏の幼稚な文学概念に反映したものを、受け入れるか、入れないかといふ、瑣末な感情に発してゐる。」

「云ふ勿れ、云ふ勿れ、かういふ、わかりきつた歴史的概念のみで、Versから、poem も poesie をも区別できぬ脳髄よ。
ポエジイなきものの標本よ!
おんみの変態と反動との中において
おんみの脳髄を腐らせよ!」

        春山行夫「ポエジイとは何であるか ―― 高速度詩論 その一 ――」

春山行夫は、

「意味のない詩を書くことによって、ポエジイの純粋は実験される。詩に意味を見ること、それは詩に文学のみを見ることにすぎない」

と言って詩に意味を求めず、いわゆるフォルマリスム(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/history/formalizm.html)と呼ばれた「深さ」のない世界を展開しました。 

   *
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ぼくはこの春山の詩に、合わせ鏡を覗き込んだときに襲われる、あの無限に生成される自分の分身に両側から引き寄せられて、まるで宙吊りになってしまったときのような感覚を覚えます。
これは「深さ」のない奈落です。

少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの円駆け抜けられぬ

という塚本邦雄の歌さながら、鏡の世界に拘束された少女は表面から表面へと永遠に墜落を繰り返します。
そしてこの詩はハンス・アルプ(1886-1966)とダダについてのウィルヘルム・ヘックの考察を引用しながら、そのナンセンス論を展開する種村季弘の次のような文章をぼくに思い出させます。

「『自分自身と対決させられるとき、人は何者と向かい合うのか?…(中略)…この愛すべきものはたちまち、その底の見究めがたい……奈落と化するのだ。鏡のなかのおのれの姿を見据えつつ、この奈落に引き寄せられて、きらめく表面の背後を補足し透視してみれば、このときわれわれは、ひたすらおのれ自身にのみ関わり、おのれ自身のみを求めて、ありようは底なしの、家具もなにもない、われわれを呑み込む空無を見出すのである』

『無意味の只中でわれわれは意味の喪失にとり囲まれているが、かくて一切はつぎのような体験に逢着するのである。すなわち、われわれはひとつの遊戯であるということ、そのルールに習熟しなくてはならぬひとつの途方もない遊戯であるということである。おそらくこの遊戯のルールはつぎの如きものであろう。一切が蒸発してしまうまで、水をバケツからバケツへと汲みかえつづけること』。

かくて「私」とは、無底の鏡をのぞく無限反射の遊戯のごときものにほかならない。…(中略)…必然の支配する堅固な世界を喪失した同じ瞬間に、なにものにも根拠づけられていないがゆえに、かえって偶然の戯れに刻々に形成され、たえず変容しつつ同一であるような無底の空間を発見する特権にあずかったのである。偶然とは無神論者に下される恩寵にひとしいものにちがいない。」

「私たちの生は、ことごとく、虚無のあくなき飢渇をいやすための終りのないバケツリレーであるのかもしれない。…(中略)…だが同時に、山野に伏してはふたたび旅立つこの風雲(偶然)に身をゆだねた全行程は、投げられては立つ起き上がり小法師や賽子の遊戯運動そのものでもあるのだ。否定と肯定は果てしなく交錯している。なさねばならぬのは賭(Spiel=遊戯)である。男はまたしても賽を投げる。」

        (種村季弘「賽を投げる男」/『ナンセンス詩人の肖像』:ちくま学芸文庫)

旧詩壇の抵抗にあらがいながらも春山らは果敢な実験的試みを続けます。けれどもモダニズム詩は第二次大戦下の思想統制によって沈黙を余儀なくされます。
そして、戦後においては、戦時下の戦争協力詩への反省から詩には「批評」(思想)がなければならない、ということが言われるようになります。

詩人の不幸はいつからはじまった
えらい先生が
詩は批評でなけりゃいけないなんて
おっしゃった日からよ
そんな意見はさらりときき流して
あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を
でも でも それが
どうして出来なくなったのでしょうね

    新川和江「Chanson」

と新川を嘆かせた、いわゆる「戦後詩」の文脈のなかで、「ダダやシュルレアリスムを芸術上のモダニズムとしてのみ受け入れた……春山行夫氏にとっては、シュルレアリスムは芸術の重要な思考であり、方法であり、感覚であって、いわば如何に書くかということにのみ注意が集中していて、決して何を書くかという詩の主題的側面は問題にならなかった。……モダニズムの詩論に於て、内容が一種の無意味な形式と化してしまった」(鮎川信夫「現代詩とは何か」/『現代詩論:1』:晶文社 )とか、「内面世界の深奥に肉迫するところに、その詩精神がむけられずに、簡単にイマジズム(写象主義)と結托して、イメージの審美的パタアンの作成にむけられてしまった。つまり一種の文学的スタイルとして現代詩を偽装したというところに、日本モダニズムの災厄と不幸の原因があった」(村野四郎『現代詩を求めて』:現代教養文庫/社会思想社)、「春山らのフォルマリスムが今日古めかしくみえるのは、それが<意味のない>世界ではなく、<意味の稀薄な>世界を表現してしまっている」(大岡信『昭和詩史』: 詩の森文庫/思潮社)からである、というような言い方で清算されてしまいました。


                                               [続く]


散文(批評随筆小説等) ヒューム「ベルグソンの芸術論」(3) Copyright 藤原 実 2007-05-08 00:24:43
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