小さな帝国
猫のひたい撫でるたま子

知りたいことが今朝はっきりわかった。

似ている人とは気になるもので、似た体験をして似た気持ちになったことがある人としか共有できない理解がある。

自分に似たところがある人似た人というのは、話して安心し楽しく、見ていて滑稽で自分もこう見えていたら・・・と思って不安に陥る。

ものごとを分かち合うのは、秒速なので切れがよく気持ちがいいが、それはただの体験の共有なのだ。似たことを共有したとしても、大切なのは事件の解決方法である。

例えば、誰かが死んだとき。

瞬時に泣いて消化できる人、
泣けずにずっと心に死人が住む人、
忘れてしまう人、
なぜ死んだのかと腹を立てる人、

人が死ぬことは、物凄い影響力がある。自分で気が付かなくても、心にひっそりと侵入するものがある。湖の波紋のように、中心から余すことなく湖の縁へと行き渡る。

人が死ぬのは悲しいことだ。だから、泣くというのが一般的であると思う。悲しい感情を消化するには涙が一番適しているかもしれない。

しかし、悲しいと素直に思うことをしない不器用な人もいる。そんな人は、泣くことをせず、自分が辛いことも認識せず、解決する手だてを探す。それは泣くことではなく、笑うことだったり、汗をかくことだったりする。

死ぬことは仕方のないこと、だから泣かない。そういう気持ちから泣かないことを選ぶ姿勢は、かっこいいと思う。

泣かずに笑え、汗をかけ。素直じゃないけど、なんかいい。

弱くいることは極めて簡単、誰かのせいにできるから。でも強くいることは、自分なりの解決を見つけ出してゆけるということ。

泣かないということは、最近流行りの泣ける日本映画なんかより、私にとっては涙腺をくすぐることなのである。

似ている人とはすぐに安心してしまい一点しか確認せぬまま簡単に関係が築けるが、お互いに簡単行きすぎるために全てが合致した気になり、大切なことをよく見落とす。似てない人とは、注意深く誤解を恐れて言葉を選んで話すことができる。人に何か伝えることはとても難しいけど、興味がある人になら真剣になる。そうでもないと適当に話して会話を終わらせてしまい、後で大変な誤解を生んでしまったりする。

私は短気なので今まで、簡単で完結な関係ばかりに終始してきた。しかしその繰り返しには何も生まれない。違った人と、ゆっくり時間をかけて関係を築いてゆくことが今後の課題である。自分と違った人と少し根気よく話しただけで知らないことが知りたいことになり、新しい世界が広がってゆく。

今まで弱いことを理由に、小さなところにうずくまっていた。

私に似ている人を見つめると、やはり小さな世界でぐるぐると遊んでいる。

そこから出たらもっと楽しいよ、そう言いたいが、小さな世界は彼を中心に回っているので、どうやら抜け出せないらしい。



散文(批評随筆小説等) 小さな帝国 Copyright 猫のひたい撫でるたま子 2007-05-03 02:38:59
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