大道の宵
板谷みきょう

休日ともなると街中は、それこそ
老若男女が入り乱れ、掻き分ける様にして
歩まなければならない程の雜踏を形成している。

ファッション雑誌に躍らされた
鮮やかな若者も
スーツ姿の没個性化した
サラリーマン達も
いつもの灰色の
たいして変わらない風景の中に
佇んでいた。

縁日ともなれば
普段は得られない何かを求める興奮に
色めき立つ中島公園も
ジョギングや散歩を楽しむ人達が
通り過ぎて行く位のものだ。

雨に色あせたベンチで
約束の時間を
とうに過ぎているのにも拘わらず
待っていた。

時代遅れの山高帽に燕尾服
その男は
見るからにうさん臭い
怪しげな男だった。

肩から吊したギターを見れば
テキ屋や博徒、極道者とは違うことは
一目瞭然なのだが
一風変わったいで立ちと
そのだみ声は、やはりヤシのそれであり
見世物小屋の呼び込みと同じ
口上師や詐欺師や山師の類いと
変わらないものだった。

しかし、背後には
薄気味悪い絵すら無いばかりか小屋も無く
口上すら
見世物の呼び込みとは全く違っていたのだ。


『さて皆さんお立ち会い。18世紀は欧州の国オーストリア。音楽の都で名高い、ウィーンでのお話しでございます。メスメルなる医学者がおりまして、ある時『生命エネルギー』なるものを発見したのでございます。解り易く言うなれば『霊魂』、つまり『魂』の存在とでも言いましょうか。それを『動物磁気』と命名致しまして、全ての病いは、磁気の流れの澱みにあると考えたところから、病いに苦しむ人々に《磁気桶》なる機械を用いまして、治療致したそうでございます。その効能はと申しますと、たいしたものだったそうでございます。暫くすると噂が噂を呼びまして、たくさんの人達が集まっては、その恩恵にあずかったそうでございます。だがしかし、鉄の棒の突き出た《磁気桶》なるその中身はと申しますと奇妙きてれつ摩訶不思議。なみなみと満たされた水に浸された桶の中が、何と。これが以外や以外、硝子や鉄くず、空き瓶と云ったガラクタの山だったそうで、早速、欧州は文化の中心地フランスはパリィの、学識豊かな経験者に因る調査が行われたのでございます。調査の結果はと申しますと、こけおどしのまやかしであると出たから、さぁ大変。おかげて、メスメルなる医学者は詐欺師、山師へと追いやられてしまったのでございます。時は変わって19世紀、米国は精神分析の父とまで崇められているフロイトの弟子の一人。ユダヤ人の医学者ライヒと申す者が時を越えて、再び『生命エネルギー』を科学的に発見したと名乗り出たのでございます。何と今度は、宇宙に満たされるそのエネルギーを『オルゴン・エネルギー』と命名致しまして、『オルゴン集積器』という装置まで発明し、病いはエネルギーの流れの澱みから来るとメルメス同様、再び病いに苦しむ人達を治療し始めたのでございます。しかし、この装置も又、木と金属を交互に重ねた温室の様な箱に見えるだけのものであったのでございます。そのために、様々な科学者や知識人に非科学的とそしられ、さげすまれ、ののしられ、あざけられまして、哀れウェルヘルム・ライヒその人はと申しますと、牢獄の中で狂い死の最期を遂げたのでありました。所は変わって日出ずる国。私達の住む日の本、日本のお話しでございます。かつて片輪者や不具、奇形、気違いと呼ばれていた者達は、『座敷牢』なる部屋に閉じ込められるか、自らの不具を前世の因果として、見世物にする事で生業を立てたり致して暮らしてました。世間の風は冷たいながらも、知恵ある者は、人並みに暮らす事を夢見て居たのでございましょう。ところがでございます。時代はいつしか、移り変わるものでございます。明治の六年「見世物禁令」なるものが布達されましてからは、その生業をも禁止したものですから、残ったものはと申しますと『座敷牢』だけになったのでございます。町のあちこち人様の目の前から片輪者は姿を消し、いつしか行くえ知れずか、いずこへと忘れ去られて行ったのであります。さて、ここからが大切な所なのでございますが。先の大戦以降、瓦礫の町が次々と復興されていくその中で、普段は長屋の片輪者が、祭りの縁日ともなりますと、白地に赤くチンキを滲ませ巻いた包帯痛々しくも、お国の為の慯夷軍人とあいなりまして、下手なハモニカ、アコーディオン。奏でましては、物の哀れを売り物に致しておりました。今、皆様方の中に居られるご年配の方達には、おぼろげにも幼いながら、記憶に新しい事でございましょう。ところが、これまた、ぎっちょんちょん。かの有名な東京オリンピックのその年を境に致しまして、この日の本、日本は当時の《お偉いさん》達が、片輪者を『障害者』なぁんて名前で呼びまして、全国津々浦々から何じゃかんじゃと集めては、尚一層に人々の目の届かない様にしたのは、ご存じでございましょうか。実はこれ裏話でございますから、ちょっと声をひそめて語らせて貰いますよ。聞き取りにくいお客様は遠慮はいらない。もう少し前に来て戴ければ、済む事でございます。ささっ、この線までなら構わない。「人間扱いされてない。」など、文句や不満に対しては、なだめすかして、おだてたり。色々手をこまねきながら、人並みに暮らせましょうや。とは名ばかりの裏腹で、形ばかりの腹黒い建物に、ましてタコと変わらぬ大部屋で。保障とやらを与えまして、世間で暮らす人様の目には届かぬ生き地獄。実は現在この時も、尚ほとんどの片輪者、日の目の当たらぬその場所で、聞こえばかりが心地良い福祉と呼ばれるその籠か、囲いの中に囚われて、人目を忍んで暮らしているのでございます。聞くも涙、語るも涙の物語り。かく申すこの私、見た目に変わりはございませんが、心の中身か、頭の中が片輪の者でございます。西洋渡来の洋三味線をかき弾き鳴らし、唄いまするは、ぶざまで醜いこの姿。本日ただ今、偶然に通り掛かりの皆様方のお一人お一人それぞれに、果して私の胸の内、思いの丈が映り出されて来ますかどうか。あぶり出しではございませんが、見事心の醜さと身の程知らずの自惚れに、物の哀れを誘った方は、心ばかりのお恵みを。何卒、宜しく御願い奉りつつ申し上げ、唄い始める所存でございます。はてさて語りはこれ位、まずは聴いてのお楽しみ。


散文(批評随筆小説等) 大道の宵 Copyright 板谷みきょう 2007-05-02 19:32:54
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