百万塔
カスラ
百万塔陀羅尼(だらに)と呼ばれている、世界最古の印刷物としての本があるのをご存知だろうか。
これを知ったのは20年ほど前、実際に古書店をしてらっしゃる直木賞作家、出久根達郎氏の随筆によってである。古書店には様々な方面から、骨董としての文豪の書簡や、歴史文献、古文書の類いの売り込みがあるらしく、その実際にあった顛末が『漱石の手紙』などの出久根作品の中に書かれていた。氏は何度か百万塔の売り込みを受け、実物を眼にしたという。
この世界最古の印刷物は、木製で高さ21センチ程の仏塔型容器の中に陀羅尼経という経文を入れたもので、天平時代(764年)に称徳天皇によって、鎮護国家と藤原仲麻の乱平定のために亡くなった武人の菩提を弔い祈願するという、当時の国家的仏教政策のために、10万基づつ、大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・薬師寺・西大寺・興福寺・四天王寺・川原寺・崇福寺の10寺院に合計100万基奉納された。
現存するのは法隆寺にある4万基ほどの他に、博物館に収蔵されているわずかの数以外は個人が所蔵しているといわれている。確かに大半は焼失したとはいえ、元が100万基である。知り合いの骨董商によると、時折オークションにも出てくるらしく、バブル期にはバイヤーの図録で、500〜700万円の値がついていたとのこと。(個人的に所有したいとは値段に関係なく思わなかったが…)
肝心の中身の経文は、凸版印刷であったことは分かっているのだが、版が木製であったのか、鋳造された金属であったのかさえ未だ不明であるとされている。(版木や鋳型が発見されていない)
実は、この唐三彩やガンダーラ物で有名な骨董商のところにも百万塔の実物の在庫がなく現物を眼にしたことはないのだが、代わりに同じ仏塔型の、わずか8センチ程の仏舎利塔を見せられたことがあった。無垢の水晶製で、その中心には米粒程の白い仏舎利が見える。出所もしっかりしているし、鑑定によるとスリランカで紀元100年頃に造られた物らしいと言う。当時は人造ダイヤによる研磨剤などなかったから、水晶の原石からこれを磨き出すには、数十年もしくは百年以上もかかっただろう。私はバチ当たりなことに、霊験あらたかで聖遺物的なものをまるで価値とはしないので、そのへんはどうでもよいのである。ただそうは言っても、老獪な商人の権化のようなこの骨董商の主人からそれを手の平に乗せられ眺め見ると、溜め息が出た。この神秘な形の、みまごうばかりの美しさ、その上部は虹色に輝いていて、まるで内部から光が射しているかのようである。骨董としてではなく、現代彫刻のオブジェ、クラシック・ジュエリーとして眺めても、圧倒的な美しさに言葉も出ない。確かに形に宿るものの、ある種の凄さをまじまじと感じさせる、その「美」の見事さよ!もちろん、地方都市で3LDKのマンションが買えるプライスタグであったから、おいそれと手が出るものでもなかったが、それでも田畑売ってでも、何が何でも買うと、駄々をこねた顛末は、やはり家人全員大反対、総攻撃に敢なく撃沈である。
※ちなみに世界中の仏教寺院や、仏舎利塔に伝わる由緒正しき(釈尊の遺骨)仏舎利の合計は、2tとも3tともいわれ、そのほとんどは珊瑚だったり石英であったり、(?)であるらしい。(仮に本物の遺骨であったとしても、ただのカルシウム・骨に過ぎないとも言える。)
初期の原始仏教において、仏像は存在せず、釈迦は円い車輪のような記号で現されていた。龍樹らの後の大乗仏教の思索者らにより編纂された有名な仏教説話に、こんな話しがある。
ヒンドゥの行者に河辺で会った釈尊は、行者から25年もの永き苦行の末、流れる川面を歩いて渡れるようになったと聞く。釈尊は憂いた表情で、
「なんと、痛ましいことか。河向こうへ行きたくば、僅かの小銭を船頭に渡し、乗せて行ってもらえばことすむものを…」
神という存在にたいして、不可知論の立場を取った釈迦の哲学は、徹底した現実的合理の中に生きる真理を探求したものであったのだろう。仏像を造ることも、ましてや自身の死後、それを祭るという宗教的儀礼など許しはしなかった彼が、結果自分の屍が小分けにされて拝められていることを、今やどう思っているのだろうか。
何れにせよ私ごとき浅学な者が仏教を論するは顰蹙も必定。話しを百万塔に戻すと、まずこれが印刷物の本来の目的であるところの、「広く多くの人々に読まれるために」という願いは叶わなかった。当時、文字自体が特権階級だけのものであった中で、はたして中身の経文を読むことができた人は、朝廷の高官と奉納先の寺院の高僧らの関係者くらいだったに違いない。いや、むしろ世界最古の本は「読む」ためのものではなく、寺院に奉納するという形式においてだけ意味があったと考えるほうが自然である。それでも私が心神喪失するほどに魅了された水晶の仏塔と、粗末な木製の経文を内蔵した百万塔と、同じ容器であることには変わりはない。かたや有り難い(?)釈迦の仏舎利、かたや経文という「言葉」を伝えた、何れもタイムカプセルである。この際、この経文で示されている哲理が、宗教的価値として人類に有用で貴重なものであるか、などということは不問としよう。まあ、どうでもよいとして、悠久の時を隔てて、正確に「言葉」が伝承されたということの価値は、骨董としての「物」の価値と、何か決定的に違うことに気がつく。例えば、この米粒ほどの舎利が本物の遺骨であったとしても、そこにその人はいないのである。しかし、先の仏教説話の(書き言葉として伝承されたかどうかは別として)、物語の言葉の中に、釈迦なる彼は、間違いなくいる。生きて動めいている。それは非物質としての「思想」や「精神」が非物質の言葉の中に在るという、当たり前過ぎるこの不思議。
「言葉」、この中に(だけ)唯一、時空を越え生命を乗せられるということ、言葉こそ、物質宇宙とは別に、意味としての宇宙を展き現出させる、ということの不思議を今さらながらに思う。
※宗教としての仏教をなんら言明した文章ではありません。
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