その墓には名前がなかった
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 あなたが去り
 私は、失った

 その墓には、名前がなかった
 私が愛した、名前がなかった


今太陽が割れて浜を照らす
その潔癖なほどまっすぐに
見下ろし揺るがぬ様は
カルワリオの丘が
あの日あなたを
受け入れたのと同じもので

回転する日の海にたわむれ
温和しい鰯の群れにむらがり
子どもたちが
つぎに誰をなかま外れにするのかを
目つきで合図する
生活はあの日と同じ手順で

一点の松にその背を永らえ
恋人の生死を
水平線の彼方に問う時
孤独な青年の影も
あの日と同じ過ちだった

 その墓には名前がなかった


男達は船足を競い
女達はさかなを開く
きらきらと海に沈められる
内臓の輝き
私の中にあなたがいない事を占う

声なく垂れたクルスに問いかけても
さざめく雑草に
教会の影は突き刺さって
この静けさだけを保とうとしていた


私の中で娘は
羽根を持った姿で育まれる
追い抜き駆ける
日焼けした子どもたちが
肩に槍をからげ
背に弓をまわし
山の頂きに向かって
鳥を追いはやすその姿に
私は、全霊を込めて戦いを挑み
けれど結局は逃げ去るのだ
神の元へと
 人間を棄てて

 ただしく清められたひかりの中
 その墓はには名前がなかった


名前を無くしたあなたは
私のなみだを落ちるに任せ 拭いもせず
背いた私が 空腹に屈するまで
ただ、哀しく微笑んでいた

名前がなくても、刻まれた 人間

そのことばの向こうでは
本当の人間は、同じではなかった
人が定めた人間がそうであったに過ぎない
しかし人間は、新しいものでもない

たそがれは人間を孤独にするために
眠りの呪文を海風に織りあやつるが
ひっそりとした都会の銀火には
もう決して、届くことはない

そして真夜中の星々は遠ざかりながら
恐ろしく愚かでありおかしみを含んだ
生と死の変奏にいつまでも付き合う
好ましい種族ではある人間が
もっと孤独であれば
まだ明かされる秘密があるのにと
歌をうたうのだが

私はひかりの中に
あなたの名前を刻み込むだけで
その傷口から溢れ出る哀しみが
どれほど語ることばで私を洗い流そうとも
なんとそれを呼んだのか、もう、忘れてしまった

ただ、この身を澄ますだけしかせず

 愛、というものだった事を






自由詩 その墓には名前がなかった Copyright soft_machine 2007-04-26 08:48:52
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