新宿PM9:51
シリ・カゲル

夜の新宿ゴールデン街に象が出る、と聞いた

だがその話を聞いたときには
その週の予定は新年度の引き継ぎやら何やらで埋まっていて
ようやく僕が新宿に出ることができたのは先週の金曜日だった

噂は……本当だった
花園神社の裏手の狭くて薄暗い路地を
新宿区役所のほうに向かってのしのしと闊歩していたのは
まぎれもない、それはナウマン象だった

だが、君たちはもうその光景は見慣れてしまったのだろうか?
飲み屋を徘徊する夜10時の住人たちは象には目もくれず
いっぽうナウマン象のほうはといえば
長いまつげの印象的な瞳にうっすらと涙をたたえながら
ち・か・ち・か・と点滅する蛍光灯のネオンを
全身に被爆し続けているのだった

だが、象はただ立ったまま犯されているだけではなかった
よく見ると象はしきりに鼻を動かしては
クーラーの室外機やら錆びた消火栓やらから
グラフィティの描かれたステッカーを
のり跡が残らないように器用に剥がしては
道行く人たちの目には入らない、路地の外壁の
3階の高さのところに貼り直しているのだった
その姿はまるで……

象の悲痛なほど丹念な仕事の一部始終を目撃してしまうと
僕にやるべきことはひとつしか残されていなかった
僕は通りの真ん中に立ちはだかって、カメラを構える
僕とナウマン象がその瞬間、一対一で対峙する
象が非完全球形レンズの奥をじっとのぞき込む
僕はここぞというタイミングでシャッターを切った

***

「私に生き写しの誰かが永遠にネガフィルムの中で微笑み続ける
そう思うと、写真というのは実に残酷よね」

***

やがてナウマン象は
新宿に来てからはじめてのほっとしたような表情を
(そのチャーミングな目に)浮かべ
鼻から頭、そして胴体、しっぽの順で
するするするとモノクロームのフィルムに収まっていった。


自由詩 新宿PM9:51 Copyright シリ・カゲル 2007-04-23 22:34:21
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