水の記憶
ピクルス


しずやかに睫毛を下ろした女の人の
うっとりと水が疾走する線路の方角に
暮れては滲んでしまう稜線がその輪郭を喪ってゆく
眠れない枕木は鍵盤となって揺れながら
囁かれた嘘の吐息にしがみついた
ざわざわと蔦の翳が延びる嘆きの温室で
感傷の蛇が、嬉しゅうございます、と頷く
そう、水はたっぷりとありますとも

こんなにもたくさん、をひとつと呼んで
続いてゆくもの、拾い損ねて漂ってゆくもの、
そうして、知恵を忘れては積もってゆくもの
やさしい指からこぼれてゆく溜息の底には
ゆるゆると歩き回る怪物達が羽根を燃やしている
瑞々しい囁きの切れ端を大切そうに握って
しとしとと
しとしとと
しとしととと、
猫背のまま水空に浮かぼうとするのですが
名前を間違えられる度に傾く月の速度で潜ります

湛えている水の冷たさ
その畔には涼しい石が侘びしく幾つもありまして
濡れた犬ばかりが座っております
笑顔で包みを開けた日を忘れられない
そんな犬ばかりが
人目を避けながら汚れた四肢を懸命に洗います

翼あるもの
それから、それを願うもの
返事を待てずに手紙を書いては指折り数え
足りない水を欲しいとも言わずに
ゆっくりと車輪の滑る音を聞いているのでしょう
つれてって、つれてって
つれてゆくな、つれてゆくな
渡る水には、ひとつとして橋はありませんが
さみしく眼を瞑った掌には
讃美歌のような切符が
燃え尽きる前にと
来るはずのない汽車の音に耳を澄ませてる
とうに水は冷たくありませんとも、ええ
空には雪のように渡る
そんな白い鳥達が今、
いっせいに鳴きました



自由詩 水の記憶 Copyright ピクルス 2007-04-13 00:47:17
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