灰色レンズアイの男
カンチェルスキス







 四人掛けの座席の窓際に座ったら男が
 おれの左斜め向かいに座って
 こっちに体を傾けたと思うと
 今日は人が多いですねなんて言った。
 いつも乗るわけじゃないから
 いつものことはわからないよとおれは答えた。
 オレンジの小さなバックパックを背負ってて
 小学生みたいに前髪を切りそろえてた。
 透き通った灰色の目にはまったく動きがなかった。
 まるで開きっぱなしのカメラのレンズみたいだった。
 おれはだからこの男については何も考えなかった。
 電車が動き出したら小学校のグランドが見えて
 網のないバスケットリングと校舎の時計が示す時刻
 どれが間違いで正しいのか誰にもわからない。
 みんなこの世にいれるぐらいには
 思考停止を済ませてる。
 男の体が傾いて
 ○○○○駅停まりますよね?って訊いてきたから
 停まりますよとおれは答えた。
 停まらなかったらどうします?って聞き返せるほど
 おれは開いた人間でもなかったから
 そんな可能性を考えるなら
 こんなものに乗らなきゃいいという答えを
 おれはまだ誰にも言えずにいる。
 おれの後ろでは見習いホスト連中が立ってて
 このまま客がつかなくなったらオレ辞めるとか
 彼女できたら辞めてトぶなんて
 まだ三週間だろだめだリョータって名前が悪いよ
 客全然つかねえオレはあまり物事を悪いように考えないように
 してる何でよ?悪く考えるときついだろ
 ああ確かにきついってなあやっぱり
 女に男は磨かれるんだぜって
 反対側の扉付近じゃ
 女子高生の集団がゴルフのアイアンについてしゃべってる
 わけもなく
 カラオケで熱唱系の歌を熱く歌う男はキモいって
 しゃべりながら
 あぐらをかいてコアラのマーチを食べてた。
 あれで好きな男の前では何も食べられなかったりするんだ。
 次の停車駅に停まり電車が動き出したら
 おっさんと爺さんに近いやつが二人
 隣の四人掛けの座席に座るといきなり亀はいいって話をしはじめた。
 いいってのはグットの意味だ。
 緑亀は傾斜のある水槽で育てるのがいいだとか成長すると
 大きくなるとかおれは知ることができて
 敬語を使われてるほうの赤ら顔のおっさんは
 アル中で
 親が死んだら兄弟なんて冷たいものだよと
 言うと
 敬語を使ってるやつが
 兄弟で他に飲まないやつがいると居心地が悪いでしょうと
 訊いた。
 ほんとうにそうだよなんて
 アル中のおっさんは笑って
 そう言えば 
 何日か前に図書館で朝からぶらぶらしてる
 若いやつに仕事に就くことの大切さを
 でかい声でしゃべってたのを
 おれは思い出した。
 前を走ってる電車との距離が詰まって
 スピードを落とすと停まらない駅の
 ホームの白線ぎりぎりに白のタイトスカートに
 水色のブラウスの地味な女が立って
 書店カバーのついてる新刊本を読んでた。
 まわりのざわめきとは一線を画してて
 まるでぱっきりそこだけ切り離されたような空間にいて
 自分の趣味嗜好なんて言うつもりもないし主張することもないけど
 ただ単純にあの女の全体を舐めたいとおれは思った。
 そしてあの女も舐められたいと思ってるに違いなかった。
 付け加えればあの女はおれの全体を舐めたいと
 思ってて
 そうしてくれないとおれはだめだ。
 だめだ。
 だめだ。
 相思相愛なんだ。
 だから出会うことができないんだろう。
 よくある話が聞いたような話読んだような話なんかが
 世界の隅々を覆い尽くしていて 
 よくある話とセリフと表情がスライドしていって
 使用され詳細は違っても語ってることは同じで
 沈黙が存在することを意識するのは一人のときじゃなく
 むしろ二人のときでそれが嫌がために
 しゃべり続け
 確かにそれは何かになってる
 おれたちが生き残るための何かか
 おれたちが死なないための何か
 おれたちは根本的に間違っててすでに取り返しがつかなくなってる
 という
 考えを抱かせないための何か
 おれたちが決してやり直そうという気を起こさせないための何か
 おれたちは一生そこにいるだけで
 そこにいることに対し満足しなきゃならないって
 思い込まされ本人も納得顔で
 死ぬまで延々と陳腐な会話を続けて
 惨めったらしいのは
 本人たちじゃない
 横で会話を聞かされてるやつだった。
 誰もしゃべらなくなったら
 世界が見違えるように素晴らしく思えるやつだって
 いることを
 誰も知らないという話は
 おれはまだ聞いてない。
 何のことはない話は突然変わるけれど
 灰色レンズアイの男は
 まだおれの左斜め向かいに座ってて
 体を前に傾けると
 開きっぱなしのレンズのまま
 ××××駅って停まりますか?と訊いてきたので
 停まりますよとおれは答えた。

 








自由詩 灰色レンズアイの男 Copyright カンチェルスキス 2004-04-28 13:09:36
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