連作「歌う川」より その4
岡部淳太郎


歌う川

          ――十一の変奏曲



川は
歌う
膨大な水の旅客を乗せて
すべての山と谷を後に残して
流れながら
歌う




祈る人は歩いていて
川は流れていて
その間も遠いふところは
潮の満干を繰り返していて
血は流れていて
水は流れていて
その循環は大きな庭の中で
互いに共鳴し合っていて
鳥は飛んでいて
星は落ちていて
歌の言葉を伝えることが出来ない
そのもどかしさに動かされていて
魚は泳いでいて
人は溺れていて
その周りで水の群集は
いつも哲学者の顔をしていて
岩石は眠っていて
隕石は目醒めていて
それらは競い合って
人の記憶の水面を目指していて
時は流れていて
惑星は呼吸していて
それらに囲まれて人は
自らの生を日々確かめていて
祈る人は歌っていて
川は歌っていて
その後ろで遠いふところは
基本的なリズムを刻みつづけている




祈る人は歩いている歩いているうちに
 あっという間に朝は夜に身を投げ
  祈る人は一日の終りを眺める
   今日もまたいつもと同じ
    ひとつの環が閉じて
     つぎの瞬間には
      またひとつ
       新しい
        環
       が開く
      小さな環が
     いくつも集まり
    もうひと回り大きな
   環をつくりその環がまた
  もうひと回り大きな環を生む
 そのようにして宇宙は無数の環の
生命の揺籠であることを祈る人は知る




「彼」は普段は際限なく眠りこけていて
それは宇宙のまん中の「彼」の
寝室の中であって
そんな「彼」が目を醒ますのは
宇宙に散らばる数多の惑星の
その上に住む幾多の宇宙人の
そのうちの誰かが
何の欲望もなく
何の策略もなく
空に向かって明らかな祈りを
吐き出した時に限られている
地球人という名のまたもうひとりの
宇宙人が
真摯に祈ったことが
これまでにも何度かあったが
そんな時でさえ「彼」は
眠りから目を醒ましつづけてきたのだ
眠りの中にある時
「彼」は
この宇宙にあまねく存在する人々の
声を夢に聴いている
それは水のような悲しみ
または火のような怒り
または風のような笑い
または土のような孤独
「彼」は聴いていたのだ
人々の声を確かに受け止めて
それを彗星に乗せて
彼等のもとへ送り返すために
そして「彼」は
祈りの声を聴いて目醒める
地上でまたひとり誰かが
その頬に涙を滴らせていた




何千
何万
何億
という水の分子が
この道を流れている
だが物質の数には限りがあり
それがどんなに数えきれないほど膨大な量
であっても
その壁を破ることはない

宇宙は混沌に満ちており
宇宙は秩序で整えられている

同じように
何千
何万
何億
という歌の音符が
この空を飛び回っていても
膨大な種類の旋律には限りがある
(だがそれは悲しむべきことではなく)
人が
歌の喜びを無限に享受するためには
目醒めよ
この地上の川が
天の大きな川とつながっているように
すべての歌は宇宙の中心の大きな
基本歌につながっている

宇宙は歌で満ちており
宇宙は静寂で整えられている




旅は始まる

またもうひとつの

それはいつの間にか始まっている
始まってしまったからには
後戻りなど出来はしない
君は歩く
歌を歌いながら
君は歩く
息を 心臓を 弾ませて
君は歩く
自らを鼓舞するため
自らを慰めるため
歌を歌いながら
君は歩きつづける

そのようにして
旅は始まり
旅はつづく

  *

  (針のない時計が)
  (見つめている)
  (亡命者はどこか遠くで)
  (川の流れる音を聴く)

  *

旅はつづく

人がみんなの前から姿を消すのは
別に苦しかったからではなく
別に逃げ出したかったわけでもなく
ただ何となく
旅に出てみたかったからだ
彼は自らの声に耳をすます
街頭の 雑踏の中にあっても
ひたすら自らの声に耳をすましつづける
そしてみんなが気づけば
あっ
消えちゃった
あの人 居なくなっちゃった
そう
旅はいつの間にか始まっていて
そして旅はつづいている
みんなも始めのうちは
消えてしまった人のことを気にして
捜索願いかなんか出したりして
あの人どこに行ったんだろう
これって蒸発っていうのかな
なんて思ったりもするのだけれど
じきに忘れてしまう
みんなが忘れた時
旅はようやく本格的なものになって
そして旅はつづいてゆく
そしてそしてやがてみんなが
彼のことを記憶の片隅にさえもとどめなくなった時
彼は帰ってくる
まるで何もなかったような顔をして
消えた時と同じようにまったく唐突に
みんなの前に現われる

やあ 久しぶり
元気かい?

  *

  (針のない時計は)
  (いつとも云えない時を刻み)
  (亡命者は夢の中で)
  (川の飛沫を身に浴びる)

  *

さらに旅はつづく

本当の旅人なら
自分を最優先させなければならない
旅人はいつだってわがままだ
歌うのは自分の好きな歌
嫌いな歌なんて歌わない
いつの間にか始まった旅は
ずっとつづいていて
旅人は
自らの靴を憐れみながらも
なおも先に進もうとして鞭を打つ
わがままでいることは素敵なことだ
とりわけ旅人が
空と地の境界線を見つめていて
そこに向かって歩を進めている時には

旅はいつまでもつづく
それは鏡を見つめること
終りのない 自らに出会うための旅

  *

  (針のない時計に)
  (確かな時を与えるため)
  (亡命者は歩きつづけて)
  (川にたどりつく)

  *

旅は終らない

祈る人は
今日も歩いている
またもうひとつの

それはいつの間にか始まっていて
いまもつづいているのだが
思えば
遠い記憶の中でも彼は
こんな旅をつづけてきた
いま祈る人が歩く
この川に沿ってのもうひとつの

時が繰り返されるように
旅もまた 果てしなく繰り返される




祈る人の物語は
ごく普通の物語である
だが彼はそれを誰にも話さない
話す必要などない
ただ自らの岩石の洞窟の中に
閉じこめておくだけで良い
祈る人は 自分がいつ生まれたのかさえもわからない
だが自分の誕生の日を特定するのは
宇宙の誕生の瞬間を特定するようなものだと
彼は思っている
確かに彼は個体である多くの人類に対して
気体のような存在だったが
彼は異常ではない
少なくとも 宇宙人としては

彼は生きることよりも
歌うことを
祈ることを 優先する
すべての生活の規範は
歌と祈りのために整えられるべきである
自らの物語を
岩石に封印して
彼が日夜求めたのは 隕石と
その遠い記憶だった

歌う川を
歌いながら流れる川を
横目に見ながらの彼の 長い旅
かつての古代の大きな旅人のように
祈る人は広大な領野を越えようとしている
人であるということの
広大な領野
そこを越えてからでないと
つかめないものがあるのだ
時々夕暮れに
恐怖することもあるが
それでも彼は
眠りの中にあるだろう神に対して 祈る

彼は
夕方に遅れてやってきた
だが彼は知っている
この夜を歩きつづければ
明日の朝には先頭に立つことが出来るということを




君は誰だ
道ゆく人よ
君はいったい何者なのだ
君は記憶を信じるか
君のその短い せいぜい数十年から百年ほどの間に
起きたあまりにも微小なかけひきなどではなく
誰もが持つ数十億年にも渡る
遺伝子の記録
魂の記憶を

空にあって人は
岩石をうち捨てるべきである
水が
天と地の間で輪廻を繰り返すように
生命は
それが生命である限り
果てもなく輪廻を繰り返す
忘却は
ひとつの宿命であろうか
だが君が求めれば
隕石は君のもとにゆっくりと
やってくる

君は誰だ
川をゆく
祈る人と呼ばれる人よ
君はいったい何者なのだ
いかに多数が岩石の安定にやすらぎつづけていても
君は 記憶を信じる者であれ




祈る人
彼は今日も浮世離れ
この川に沿って歩きながら
宇宙の鼓動をその身に感じている
宇宙の明日は 炎であるか
宇宙の明日は 水であるか

いま こうして歩きながら
彼の中で 歌う川
眼の前で歌う
川と同じく自らの体の中から歌う声が
聴こえる
それと同時に彼の脳裏によぎる
括弧つきの過去
(近い過去)
だが彼は何ひとつ学ばない男なので
悔やむということを知らない
ただ彼は眼の前の川を
五感を総動員して感じる
そして歌う
宇宙の明日を信じて

胸の張り裂けそうな夜に祈る人は
遠い叫びを聴いた
それは釣られる魚の声のようにも
吊られる名もなき人の声のようにも聴こえた
最後の声は
いつも悲しいが
彼は宇宙の明日を見つめている
彼は
百五十億の心臓が
ひとつの大きな鼓動を刻む日を夢見る




祈る人の
 旅はまだ 途中
  川の中での 水と水との
   囁きかわす声が聴こえて
    祈る人はもちろん
     どこか遠くで聴き耳
      をたてている歌の
       神にもそれは聴こえて
        いる せせらぎ せせ らぎ
         くすくすと笑う 川の顔
        宇宙の 血管の中で
       地球の 血管の中で
      人の それぞれの
     血管の中で 川が
    歌う 歌う 歌っている
   僕たち本当は歌うために
  生まれてきたんだ
 聴いてごらん
聴いてごらん
 ほらこんなに素敵な
  声 声 声
   川床に眠る宿命の石を
    捜して 僕等の魂の中に
     しまいこもう まだ自分の石に
      出会っていないなんてそんなの
       悲しすぎる 見つけよう 見つ
        けよう そして歌おう 歌を
         歌おう 空気の中にも
        歌が飛び交っているし
       川の中にだって 川の歌う
      歌に混じって色々な歌が
     泳ぎ回っているよ ほら
    歌おうよ 歌 歌
   歌おうよ 歌は 世界を
  知るための道具 そして
 祈りは 世界を構築するため
の道具 祈る人は知っている
 歌えば ほら明日は飛び立つ
  時は流れ出す
   遠い 遠いふところを
    目指して流れてゆく
     旅は まだ途中
      人類の旅は まだ途中
       ふところは僕等を待っている
        それは母のにおい 母の
         懐かしさ ああ母さん歌は
        素晴らしい 歌うことは
       愉しい 帰りなさい 魂たちよ
      お前のふところへ 魂の帰還を信じて
     大いなるふところはひたすら待ち
    つづけている 行こう 行こう
   歌のふところ 僕等のふところを
  目指して歌いながら流れて行こう
 僕等はひとつぶの歌
僕等はひとつぶの声
 祈る人は歩く ふところを
  目指して 川は流れる
   ふところを目指して
    川は歌う ララ ララ
     ララ 歌う 川は歌う
      歌う 歌う ララ 歌う
       川 それは川 流れる
        川 歌う 歌う 歌う
         川 歌う川 歌うのは川


十一

歌う
そのことに川は 意味を求めない

ただ川は
日々歌うことに 喜びを見出す



やがて、河口

やがて
河口
たどりつくのはいつも そこだ
祈る人に限らず
旅をする者はみな
最後には必ず
河口に行きつく

川に沿っての
果てしのないように思えた旅も もう
終りである
旅の終りを
誰が祝福してくれるのか
そんなことを思う気はさらさらなく
祈る人は
壮大な淋しさに我を忘れる

だがいま彼には
胸の中で確実に育った隕石の
声が聴こえている
終りは終りではない
終りは次の始まりへの
第一歩である
流れて歌って
河口でその使命を終える川も
そのことを知っている
川は
悲しまない
川は 祈る人に別れの
微笑を見せる





そして川は
流れつづけた果てに
海へとそそぐ
祈るために生まれた
最初の人類も
海へとたどりつく
彼の眼に映るのは
旧人類が河口に築いた
港だった

ここで淡い水は
濃い水になり
個人の水は
全人類の水に変る
  河口の港
船は出る
(人はゆく)
船は入る
(人は訪れる)
鴎の鳴き声のように
魚の声なき口の動きのように 海は
凪と
時化を
繰り返す

港に時おり出没する
老人がいる
彼の額には
この港に打ち寄せて砕ける波のような
無数の皺 が
刻みこまれている
旧人類の最後の砦
諦念によって生き永らえることを覚えた
典型的人物
港にたどりついた
祈りを生業とする最初の新人類である男
祈る人 にとっては
深海魚のように不気味な存在だった
老人はただ歩き回るだけ
船から 船へ
祈る人はただ見ているだけ
祈ることも
忘れて

老人がただ歩き回り
祈る人がただ見ている そのさなかにも
回遊魚は河口から
上流の故郷を求めて
川を溯ろうとしている そのさなかにも
頭上では
隕石になりそこねた宇宙の「イシ」が
地球の周回軌道に乗ろうとしている そのさなかにも
川は海へとそそぎ
海は波の鼓動を
繰り返し
繰り返している

そのさなかにも 港では
老人がただ歩き回り
祈る人はただ見つづけている
祈る人の哲学も信仰も
老人の諦念も
そして海の暴力と優しささえも
ひとつに溶けて
潮風の中 ひとかたまりのにおいになって
港を漂っている
  河口の港
川は 血管
海は 心臓
老人はやがて死に
祈る人は生き残るだろう
そして彼の祈りは人類の
新しい歌となって
この港から世界へ向かって
出航するだろう
その瞬間の前の
ひとときの
静寂

船が
船が溯るためにやってくる




(一九九七〜一九九八年)


自由詩 連作「歌う川」より その4 Copyright 岡部淳太郎 2007-04-04 20:03:37
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