彼の、パキーネ、異形の詩歴書番外
佐々宝砂
眉村卓の古い短編小説に「わがパキーネ」というのがある。私が最初にそれを読んだのは1982年。十四歳の夏だった。ヒマでたまらない十四歳の夏休み。自分自身の汗の臭いと、隣で飼ってる牛の悪臭と、それらをぐるぐるかきまぜる扇風機の音。なまぬるくなった麦茶。そんな夏、私は自分の家の押し入れに1960年代のSFマガジンの山を発見した。古い紙の匂いが私の夏に混じった。そのSFマガジンに、「わがパキーネ」が載っていた。私は、私が生まれる前に発行された雑誌で「わがパキーネ」を読んだのだ。
最初に「わがパキーネ」を読んだとき、私は何を思ったのだろう。思い出せるような、思い出せないような、奇妙な感じがする。その年の夏、私はほんとうに大量のSFを読んだのだ。筒井康隆に小松左京はもちろん、クラーク、ハインライン、アシモフ(当時はこういう表記だった)ももちろん、名前をあげるときりがないので適当に名前をあげるが、コードウェイナー・スミス、ストルガツキー兄弟(古いSFマガジンではこういう表記だった)などなどを古いSFマガジンで読んだ。そして1982年当時のSFも読みまくったのだ。当時、SFマガジンには萩尾望都の「銀の三角」が連載されていた。大原まり子が「銀河ネットワークで歌を歌ったクジラ」を書き、神林長平は「言葉使い師」を書いた。鈴木いづみはまだ生きていた。
私の「ある部分」はあの夏に形成されたのだと思う。60年代と80年代が一度にやってきた夏。その夏は、1980年代が終わるまで続いた気がする。SFに関しても、音楽に関しても、俳句に関してさえ、私には60年代と80年代がともに訪れた。炸裂しながら。
たくさんのきらきらするSFに混じって、眉村卓の古いSFは地味だった。まだ司政官シリーズも不定期エスパーも、ねらわれた学園も書いていない眉村卓は、小さな話ばかりを綴っていた。私はそれらを確かに読んだ。でも私は、眉村卓の小さな話の内容をほとんど覚えていない。覚えているのは「わがパキーネ」ばかりだ。強烈な読書経験を一挙に大量に受けたあの夏、たくさん読んでたくさん忘れたあの夏、なぜ「わがパキーネ」は私の記憶に残ったのだろう。
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二十歳のとき、はじめて男性の恋人というものを持った。SFが好きなオタクっぽい男だった。音楽をガンガンかけてふたりでドライブした。私たちはそんなときたいていSFの話をした。ねえ「わがパキーネ」って知ってる?と訊ねたシチュエイションは思い出せない。たぶんドライブしてたときだと思う。彼は知っていると言った。なんだか気持ち悪いものを読んだという記憶しかないな…と言った。私は落胆した。落胆すると同時に気づいた。私は「わがパキーネ」という短編が好きなんだ。かなり、好きなんだ。
家に帰って本棚を捜索して、「わがパキーネ」を見つけた。再読した。再々読した。再々々読した。好きだと認識した。パキーネになりたいと思った。私はパティ・スミスにもケイト・ブッシュにもなれないが、パキーネにはなれるのではないかと思った。ユーカロ星から地球に留学してきたパキーネ。青白い顔をして、ぶくぶくと無様に太ったパキーネ。ヒューマノイドであっても、地球人からの目からは不気味な女にしか見えないパキーネ。でもパキーネはひとりの地球人男性の心をとらえる。どうやって?
騙すことによって、だ。
騙された男は、騙されたことを知って、なお、騙されるためにパキーネを求めてユーカロ星にむかう。
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話はずーんと飛ぶ。私は三十歳を過ぎ、インターネットを知り、ネット上に詩を書いていた。私はすでに「佐々宝砂」で、私の作風は一部の人に知られていた。私は、とあるネット詩人が好きで、毎日くだらない話を掲示板やチャットでかわしていた。あるときそいつがあほなことを提案した。別HNで恋愛詩を書いてサイトに投稿し、どれがお互いの作品かあてよう、と言ったのだ。彼は「らしくない」どころか私の目からは「らしすぎる」ようにしかみえない詩を別HNで投稿した。私はそれが彼の作品だとすぐわかったが言わなかった。あえて言わないでいる方が楽しい気がした。
私も別HNつけなきゃ…と考えて、ふと思いついたのがパキーネという名前だった。そこで私はパキーネというハンドルを持つことにした。彼は私がパキーネであるとすぐ気づいた。私の「らしくない」恋愛詩も、もしかしたらものすごく「らしい」恋愛詩にみえたのかもしれない。だが、パキーネ=佐々宝砂と気づかない人の方が多かった。私はわりとすぐ種明かしするたちなので、私はパキーネですわーとすぐに告白した。そんなこと多くの人にはどうでもよいことなので、話題にはならなかった。
しばらくたって私はメッセのアドレスを取得した。sasahosaをIDにすると、知られたくない相手にもメッセのアドレスがバレやすくなるなーと思い、PakieneをIDにした。それで、私と親しい友人は佐々宝砂=パキーネだと普通に認識するようになった。中には私のことを「ぱきちゃん」と呼ぶ人もいた。パキーネという名前は、私にとって、へんな話なのだけど本名より私的な名前になった。
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知っている人は知っているように(知らない人は知らないままでいてほしいから説明しない)、パキーネは、我ながらうんざりするようなかたちで現フォに登場した。私は私の行為についてあまり後悔したくない。多大に反省しているし、ちょっぴり後悔してはいる。ただ、パキーネという、私にとって大切な名前を汚してしまったような気がして、それだけが、せつない。だが、眉村卓のパキーネは、不気味にあおざめたぶよぶよの頬を揺らして微笑むかもしれない、わたしは愛してもらうために幻をみせたのよ?
ユーカロ星生まれのパキーネは、地球生まれのパキーネを許してくれるだろうか。