詩人が収入を得る方法
ななひと
詩は売れない。詩で収入を得ることは困難だ。はっきり言って詩は絶滅危惧種だ。なのに絶滅しない生命力を持ち合わせている。
なぜ詩は絶滅しないのか?どのように詩人は生計を立てているのか?いくつかのパターンを考察してみる。私は現代詩よりも近代詩、明治大正期に詳しいので、そちらの話で考えてみる。当然時代が変われば状況が変わる。現代詩についてご意見があればぜひ伺いたいと思ってこの原稿を書いている。
その1 「就職する」
「詩人」というのは職業かどうかあやしい言葉である。「博士号」は称号であって、「博士号」を持っていればみな大学に就職できるかといえばそうではない。「教授」は職業である。なんらかのチャンスがあれば、何ら資格がなくとも誰でも「教授」になることができる。現代は「博士号」を持った未就労者が世に溢れている時代である。(それがなぜかは関係ないのでここまででやめる)話を元に戻すと、「詩人」と名乗ったからと言って、それだけで収入が入ってくるわけではないのである。当然金はない。どうするか。どうしようもないから、一応「詩人」も何らかの形で就職する。就職して、収入を得て、その余った時間、自分の時間を利用して詩を書く。
明治期の詩人はたいてい大学の先生である。近代詩の起源と言われている『新体詩抄』の作者はみんな「帝国大学」(当時帝国大学は一つしかないから、当然東大である)の教授である。偉いのである。大学、高校、詩人の教員率は恐ろしく高い。教員でなくとも、今でいう「カルチャーセンター」のようなところの講師名簿に、ひょんなところで名前がはいっていたりする。
時代が飛躍するが、詩人が「詩人」としてお金儲けができるようになるのは、大正後期から戦前までである。それはなぜかというとラジオのせいである。ラジオで、詩が読まれるようになるからである。戦争が始まると、国のお偉いさんが来て、戦意高揚の詩を書くよう詩人に頼む。戦争協力の詩を書くのは嫌だ!という詩人は実はあまりいない。今から見るとそうしたことで詩人に「キズ」がつくのだが、当時の人は(時期によるが)戦争を悪いことだとは思っていない。お国のために詩を書く。するとお金が入る。詩人の放送関係者率も驚くほど高い。ただし、こうした詩人は戦後追求されるから、現在まで名前が残っている人は少ない。前田鉄之助、井上康文、多田不二などがその例であろう。
その2 「親から貰う」
「詩人」であり、なおかつ就職しないとすれば、当然お金は一銭も入ってこない。どうするかと言えば、親から貰うしかない。現代の超有名詩人である萩原朔太郎はずーっと親のすねかじりである。もちろん朔太郎はたくさん書いている。しかしそれでどれだけ収入があったかは疑わしい。朔太郎のエッセイにも親が、「就職しなさい」と言って、ケンカする、というエピソードが出てくる。
その3 「詩雑誌を編集する」
「詩人」として、「詩」に関わりつつ、収入を得る最も最適な道がこれである。もちろん詩雑誌を編集したからといって必ずしも儲かるわけではない。しかし、当時の「詩雑誌」というのは、ある意味特殊な売り方をすることが多い。今の人は、当時の書店に、他の書籍と一緒に詩の雑誌がおかれていたと想像するかもしれない。もちろん何部かはおかれていただろう。しかし、当時の詩雑誌は、俳句雑誌や短歌雑誌と同じで、販売利益で営業するのは恐いから、「詩社」というものを作って「会費」をとるという形態をとることが多い。「会費」を払えば、その雑誌に投稿する資格ができて、いくら払えば「何会員」という名前がついて、「何会員」は一ヶ月にいくつまで詩を投稿できるのか、詩の結社の規約で決めるのである。で、編集者はそうした投稿作品を添削する。添削して返却することを売りにすることもある。川路柳虹、北原白秋は、こうやって生き延びてきた二大詩人である。
その3 「小説を書く」
詩は字数が少ない(ことが多い。)字数が少ないと、当然紙の枚数が減る。コストがかからなくていいかというとそんなことはない。紙一枚にお金を払う人はいないのである。すると、長いものを書いた方がいいことになる。長くて、多くの人が読むものを書いた方が回収率が高い。そういう意味で、詩よりも小説の方が儲かる。室生犀星は、現在は詩人として有名で、小説はあまり評価されていないようだが、当時は流行作家である。そして彼は、小説を書きたくて書いているのではなくて、本人がはっきり、本当は詩を書きたいのだがお金がないので小説を書く、と言っている。そんな室生犀星は、その3であげた「詩雑誌の編集」もやっている。『感情』という、朔太郎と一緒にやった雑誌だ。これは会費をとっていなかったようだが、犀星がかなり編集に尽力した跡が伺える。というか朔太郎が働いていないw。だんだん自分ばかり仕事しているのがばからしくなってきたのか、小説が売れるようになってきたのか、どちらが先かわからないが、雑誌の編集は別の人に譲って、小説を書くのに専念することになる。
その4 「何らかのムーブメントを起こす」
これは現代でも何かのたびに起こることで、そしてこれだけが唯一「詩で儲ける」道である。はっきりした統計はないが、島崎藤村の『若菜集』は相当売れたらしい。藤村先生を貶めるつもりはないが、『若菜集』に関しては、こんなエピソードが散見される。要するに、「女を落とすには『若菜集』を買え」というものである。『若菜集』を買って、持っている、あるいはその中の詩句を口にすると、もてるのである。かっこいいと女に思われるのである。だからみんなこぞって『若菜集』を買う。これは現代でもそうだと思うが、何でこんな人の詩集がばか売れするの??とお怒りになった経験は多いだろう。内容は、個別のことなのでわからないが、内容と、「売れる」ということは無関係でありうる。もちろん内容も良くて売れるとそれは一番の道なのだけれども。
その5 「翻訳をする」
語学に堪能な人は、海外の本を翻訳することで生計を立てる。これも非常に多い。先ほどあげた川路柳虹もそうである。インターネット時代の現代では想像するのが難しいが、勉強する青年で、外国語ができない人にとっては、翻訳本は非常にありがたいものなのである。だから詩よりは全然売れる。さらにその詩人の知名度もあがる。一石二鳥である。
その6 「童謡、校歌などを制作する」
自分の出身校の校歌が、結構有名な詩人によって作詞されているということはないだろうか?そしてその人はそのことを自慢にしていたりするのだが、「俺の出身校はな、なんと島崎藤村が校歌を作ったんだぜ」とか言うと、実はあ、そうなの、うちは北原白秋だけど。と言われてしょんぼりすることが多い。学校の校歌の制作を結構詩人に頼むのである。明治期には「作詩」「作詞」の区別は曖昧である。
あと、売れるのは「童謡」である。「子供」は格好の商売道具である。運がよければ教科書に採択されてしまったりすることもあるかもしれない。これも時期によってかなり違うのだが、「童謡」が儲かる時期がある。
つらつらと書いてきたが、出典不明記、ぼんやりしたうろ覚えで書いているので、あまり信用せずに。きちんと調べたらどこかに書きます。
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