サンプリングか?恋愛感情か?
猫のひたい撫でるたま子
ものつくりを真剣にやっている人は冷たい。頭の六割が常に制作に使われているから。
あとの四割は、生活とか美味しいご飯とか、1日のスケジュールとか、そのとき一緒にいる人に使われていると想像する。
人と関わるのは難しい
特に男女なら
でも冷たくない人は自分の優しさが仇になって、いいものを作リ上げるのは難しいと思う。
ものつくりをしていながら、恋愛や結婚生活を営んでゆくのは困難だ。それでも恋をしてしまうし、することで何か生まれることもある。
ものつくりをする人とする恋愛なら、多くを求めてしまうと破滅する。愛はみな平等に持ち合わせているものだが、優しく弱い人はその愛を自分より相手に沢山使うことができる。そういう恋愛に溺れがちである。しかし自分自身を一番愛せない人を愛し続けることは、刹那的でアンバランスなことだ。
私はものつくりをしている人にしか恋に落ちた経験がない。何故なのか?
ある人は、私がまだ恋をしたことがないと言った。
ある人は、私が愛したのは相手の作品だけであると言った。
どうなんでしょう。
自分も冷たい人間なので、思いやりはあまり持ち合わせていないみたいだ。自分を振り返ってみると、私と恋に落ちてくれる人は奇特な人だと思えてくる。大概の人は私が心を許して作品を見せたとき、冷たく勝手な私を垣間見て走って逃げて行く。嫌われる程に愛されているのかもしれない。私はカンチガイを恐れない。頭がいい人なら、生身以外の私を愛してくれる。
これから片思いでなく、恋愛をすることが本当にあるのだろうか。
私を本当に好きになる人がいたとして、私と恋愛をして永く幸せになる人なんて居る気がしない。
かつていた私の中の弱い女は死んでしまった。
弱く泣く女
強く泣かない女
どちらで居ようと、景色が変わるだけ。自分なんて定義できない。ただ泣いてばかりいては、どんなに美しい景色も滲んでちゃんと記憶することができない。
それにしても、恋愛を懸命に分析したところで、恋愛は上手く運ばない。恋愛でなく、恋愛について想いを馳せるのが一番好きなのかもしれない。