東京 八ヵ月
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東京に来て八ヵ月が終わろうとしてる。
その実感が少しづつ沸いてきて、博多に帰る。
未来は確実に迫っている。
東京を総括する。なんて大げさなモンじゃあないが、いつも、九州代表の気分だったから、東京で眺めた、聴いた、匂った、触れた、感じる全てが、生まれ育った熊本や博多、愛知と比較してしまう、気ままな感想。

東京の空は、穏やかな日が多い。
乾いた風がよく吹いた。
雨が降る日も、風は九州よりずっと軽い。
雲は静かな顔をしている。
ゆっくりと過ぎる。愛知よりもずっと高く。
早すぎる街の時間の上で、表情の変化はいつも穏やかだ。

東京の優しさは、人の個性を発揮するところか。
新宿から中央線を立川に向かいながら、俺よりはるかに歳上だろうおじさんが椅子に腰掛け、何やらアニメの冊子を熱読している。その表紙には、巨大な瞳、長い手足、短いセーラー服のギャルが竹刀を片手に堂々としていた。
オタクなおじさんが人目もはばからず、電車で趣味に耽ることができる。
東京の優しさのひとつとして、人ひとりひとりが自分に没頭できる可能性が開かれているところだろうか。
街は、旧さと新しさが同居したまま、常に工事中で、どこかで祭りでもやっているかの如く、人波が荒く、早く、押し寄せては過ぎ去る、その行き先には、どことなく数字や貨幣が見え隠れする。
美人が少ない。平均的美人の敷居が低い。しかし、ぎょっとする位の美人が稀にある。
そして、30代頃からだろうか、美しい女性が増える。
保ち、更に磨くための不断の努力や学習が成せる技だろう。
自然が、圧倒的に不足しているから、人が作り上げたものにしか価値を見いだす基準を設けられなく感じられる。東京の生活になじんで久しい同郷人や、生粋の東京人と会話して感じた、彼らの言葉を形造る意識の根幹は、自然のあまりにも激しい暴力や大きな慈しみ、その匂いや指先、人間を過ぎてゆく流れ、または人間と共に時間を生きる、大空の赫きや大地の陰り、虫や鳥、魚やけものの生き死にが不足していなければ、形成することが不可能だろうと思わせる、事象の中心として在る人間感覚。
それは、ちょっと複雑な感想を抱かせる場合が多かったように思う。
けして、否定している訳ではないぜ。俺が田舎もんってことの確認作業に敷かないって事。
人の表情が一様に、必死に見える東京。
言葉は常に己の輪郭を何度もなぞり、個性を成す為に発せられ続け、たったひとりの自分を固めて留める安心を、求めて頑張っているような東京。

新宿や渋谷の洪水に飲み込まれながら、ここが一面焦土だった大戦中の息吹が残されている東京。
それをみなが吸い込み、吐き出して生きている。
ビルがあまりに大き過ぎて、空はあまりに切り取られて、だから、飛ぶ鳥が公園にだって少ない。
ここが日本なら、他の土地は日本ではないように思えるほど、個性と没個性は、その両極にも、中間にも豊かだ。
まあ…そんな東京も、大阪も熊本も札幌も、遠い離島や山の頂きまで全部含めた姿が、真の日本ではあるのだけれど。

東京で暮らして、博多に帰る。
博多の空は、懐かしい乱れた姿の雲が、低く飛んでいるだろう。
海の照り返しが、日没した空を長く明るめているだろう。
どこぞのバーで、美人と知り合うぜ。
刺し身も安くて新鮮。
ファーストフードの値段が東京と変わらない、博多。

そばが安くて旨い東京。
夕暮れの後は、空にすぐ影さす東京。
あまりに巨大な東京だった。
お前の姿は混沌が美しい。
その温もりはいつだって優しい。
今に劣らず未来まで賑やかで、喧騒もどことなく静かで孤独だった。
短い間、世話になったな。
もうすぐ、さよならだ。


散文(批評随筆小説等) 東京 八ヵ月 Copyright soft_machine 2007-03-18 20:52:54
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