現代詩フォーラムを荒らしてみよう
木棚環樹
1)すごくくだらない文章を大量に連続投稿してみる。
2)1を実現するためには、24時間以内に多くの詩にポイントを投げなければならないので
詩を読まずに片っ端からポイントを投げてみる。
3)1&2を繰り返す仲間を集めて、お互いにお互いのくだらない詩にポイントを入れまくる。
4)1〜3によって現代詩フォーラム全体の印象を悪くする。
まず、1)におけるくだらない文章を定義しなくてはならない。
a詩と無関係な日記・雑文
b空欄
c顔文字
dアスキーアート
e読むに耐えない長文
荒らしであることを明確に印象付けるには、悪意のある文章を書き込めば良いのだが
しかしそれが、単に出来の悪い詩であり、この人は発展途上の出来の悪い詩人なんだ
と解釈される可能性はある。
最悪、良心的な詩人から詩のアドバイスなどといった救いの手を差し伸べられる可能性すらある。
この可能性を回避するために、明確に詩ではない何かを投稿しなければならない。
といった無意味な空白中に小さなドット「.」が一個だけあるとか
逆に、ウィンドウズビスタの再インストール法について書かれた
無味乾燥なマニュアルを長々と書き写すとかだ。
しかしだ。大量の空白に小さなドットが一個あるという画面は、
潔癖でそれでいて美しくバランスの取れた一つの詩であると
好意的に解釈される可能性はないだろうか?
また、ウィンドウズビスタの再インストール法について書き写した文章は、
ネット詩人が集まるサイト上で万一OSが壊れたときのQ&Aとして親切心で書かれていると
好意的に受け取られる可能性はないだろうか?
さらに一部の知識人などに、マルセル・デュシャンのレディ・メイドなどを引き合いに出し
前衛的な現代美術の技法・文脈を現代詩に持ち込んだ知的運動として
好意的に受け取られる可能性はないだろうか?
顔文字やアスキーアートのみの投稿であれば、こちら側の悪意は伝わるだろうか?
これもまた、POPな視覚詩・ビジュアルポエトリーとして、絵文字を使った一コマ漫画として
好意的に受け取られる可能性はないだろうか?
さらに最悪な事態として恥知らずな知識人からシュールレアリズムのアポリネールが描いた
カリグラム・イデオグラムなどを引き合いに出されて、絶賛されたりしないだろうか?
つまり、これが明らかに詩ではなく悪意のある荒らしだと伝わるためには
長過ぎず・短過ぎず・絵画的でもないごく普通の言葉を書き散らさなければならない。
つまり形式的には普通であるが明らかに悪意のある言葉、例えば悪口だろうか?
現代詩フォーラム上の任意の誰か特定個人の名前を挙げ、罵声を浴びせれば
それが荒らしとして成立するだろうか?問題はそう簡単ではない。
特定個人への無意味な罵声から建設的な批判・批評を読み取るおせっかいな御人があらわれて
罵声を浴びせた人間と浴びせられた人間との詩的差異、詩人としての立ち位置や視点の違いを
説明し始め、現代詩フォーラム上に二つの流派・運動を見出し、
そこから文学史や文芸思想などを読み取り生み出す知的な馬鹿が居ないとも限らない。
つまりは、本当の意味での荒らしを成立させるには、文章サイズが短過ぎず、長過ぎず。
絵文字も使いすぎず使わなさ過ぎず、他人への攻撃をし過ぎず、しなさ過ぎず、
大量に多くの詩人にポイントを与え、大量に多くの詩を投稿する。
しかも一人だけでは数に限界があるので、多くの友人を現代詩フォーラムに招き入れ、
同時多発的に投稿トラック数を飛躍的に上げ、
情報量の急激な上昇から生まれるシステムダウンを狙うしかない。
いや、それはただの熱心な参加者ではないか。