文鳥
水中原動機

小学生の頃、文鳥を飼っていた。まだ生まれた家に住んでいたころだ。私と妹と弟は亡くなったばかりの祖父の名前をつけて、それはもう可愛がっていた。毎日えさをやり、水を換え、学校から帰ると一目散に鳥かごに向かった。そして容赦ない愛情を注いだのだった。加減などまだ知らない子どもらしいやり方で。

その日、いつもと同じように鳥かごから文鳥を出し、撫でたり手のひらに包んだりしていたのだが、どうも様子がおかしい。私たちが母に「なんか元気ないよ」と見せた途端に目の色が変わった。母は仏壇の前にガーゼを数枚置いたかと思うと、いきなりお経を上げ始めたのだ。

よく状況が飲み込めずキョトンとしている私たちに、母は「あんたらも座りなさい!」と叫んだ。「なんで?」「死んじゃうの?」と交互に聞く声も無視して。何分、いや何時間経ったのだろう? 結局そのまま文鳥は冷たくなっていた。そして母は言ったのだった。「もう、鳥は絶対に飼いませんからね!」

どうも自分の詩に書く鳥がリアルでないことを考えていたら、ふとそんなことを思い出した。そしてなぜ、母があのとき烈火のごとく怒り狂ったのか、同時に分かった気がしたのだ。母にとってあの文鳥の死は、祖父の死と等価だったのではないか。

母は幼い頃、祖父に抱きすくめられるのが大好きだった。だが何かにつけて口やかましく、厳格で、帰りが遅くなると玄関で仁王立ちしているような人だった祖父を、窮屈にも思っていた。窮屈で、祖父から離れたくて父と結婚した、とも。

その祖父は、死に際、母を幼い頃のように抱きすくめたそうだ。力なく、とてつもなくやさしく。母は泣くじゃくったという。子どもだった私たちはそんなことがあったと知らなかったし、知っていても分かりはしなかっただろう。あふれるほど愛しているのに素直になれない。失ってから気づく大切な人や物事。

ちょうどあの頃の母と同じような年齢になって、私も今おなじような気持ちを抱えている。大好きだけど大嫌い、愛しているけど憎らしい。家族も、仕事も、友達も。そんな複雑な感情をうまく処理できずに、毎日が混乱している。でもきっと、うまく乗り越えられるんじゃないかな。だって、母は母らしく、ちゃんと生きてるんだもの。あの日の文鳥はまだこんなにも、心の中で生きてるんだもの。


散文(批評随筆小説等) 文鳥 Copyright 水中原動機 2007-03-09 13:00:25
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