菩薩
ならぢゅん(矮猫亭)

 ある老姉妹が奈良の長谷観音をお詣りしたときのことだ。参拝を終え京に向かう道すがら宇治に立ち寄り名物の鰻蒸しを食したところ、美味しさのあまり妹はつい度を過ごし腹痛を催した。さてそれからが大変。あちらの寺にご不浄を訪ね、こちらの社に厠を借り、京の町を無様にかけまわることになった。
 ――もう折角の旅行がだいなし。そう言いながらも妹はなんだか楽しそうだった。
 ――ねえさんはしっかりしてるから、どこへ行ってもすぐトイレを探してくれるし、ほら知らないところだから一人で行くの怖いじゃない、暗いし。ねえさんは一緒に行って待っててくれたのよ。
 それは旅行好きの二人が一緒に出かけた最後の旅でのこと。二ヵ月後、姉は二度目の手術を受け、それからは入退院を繰り返す日々。二人が再び旅枕を並べることはついになかった。

 十年におよぶ闘病生活の末に姉が息を引き取ったのは半月前のことだ。緊急入院の知らせに駆けつけた妹がひとまず家に帰った直後、いったんは持ち直したかに見えた病状が急変し、一人娘の腕の中で静かに息絶えたそうだ。
 ――お母さんは誰にも見せたくなかったんだと思うの。長年勤めた養護教諭の職を辞し母の最後の日々を支えた娘が言う。白髪が看護の労苦を偲ばせる。
 ――わたしにはすっかり甘えていたけれど、きっと他の人の前ではしっかり者でいたかったんだわ。
 だが僕は思った。あるいは怖がりの妹に死の実相を見せまいと姉が計らってくれたのかもしれない、と。

 ――ほら知らないところだから一人で行くの怖いじゃない、暗いし

 そういえば、あの腹痛も長谷観音さまの愉快な計らいではなかったか。姉と妹の最後の旅がいつまでも鮮やかなまま記憶に残るよう、幾度も幾度も笑顔で思い出せるよう、ちょっとした悪戯を企んでくださったのではあるまいか。翌日、僕は妻を誘って狭山の山口観音に詣でた。秘仏のご本尊に向かい手を合わせ僕は南無観音と三度くり返した。顔を上げると妻――あの怖がりな妹の娘はまだ一心に何かを祈っている。その瞑目の横顔を秋の夕陽が静かに照らしていた。


自由詩 菩薩 Copyright ならぢゅん(矮猫亭) 2007-03-05 12:21:20縦
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