狂気の蜜
umineko

私たち社会が直面する最大の脆さは、分業化による広義の匿名性ではないかと、最近思う。

農耕民族であった私たちは、生産とは種まきから収穫であって、その益も責任もすべて個人、あるいは非常に小さな共同体にゆだねられた。今私たちの社会って、たとえば種まき係と水やり係と収穫係がそれぞれ別運営で、万一不作になったときには、やれ種のまき方が悪いとか、水が足りんのじゃとか収穫が雑だったとか、なんかそんな議論を延々としているような感じだな。不毛。

共同体なんだけどね。別に鉄壁である必要はなくってさ。ゆるやかにつながっていく。

そろそろipod買おうかな−とか思って、appleストアのサイト見てるんだけど。ここの「お客様の声」欄は掲示板としては前向きなわけですよ。好感が持てるわけです。一方、先日からの居住地定住化作戦で、それ関係の掲示板見てるんですけど、これがまあ罵詈雑言ってゆうか、揚げ足取りのオンパレードなとこもあるわけですね。

人は何をしたいんだろうね。匿名になるとケモノ以下になってしまう?実社会で出来ないことを匿名社会で晴らしたいのかな?どうもよくわからない。

私たちの暮らしって、高度に分業化されて、責任の所在がわからなくなっている。それもある意味匿名性でしょう?顔のわからない生産者の野菜を買って、誰が作ったかわからないキーボードをたたいてる。原始的な信頼度のあるうちはそれでもよかった。でも、たとえば政治とか企業の姿勢とか見ていると、踏みにじっちゃうことばかりだし。コンプライアンス、って、なにそれ?とか思うよ。でもそれはそのまま、私たちにも降りかかる。

先日。あと7年で地球は滅びますよっていわれてさ。そのとき、ふっと頭をよぎったんだ。地球最後の日、自分も、略奪の暴徒の中に、紛れていくんだろうかなあって。ガラスをたたき割り、大切なもの、それを踏みにじって、ものを奪い肉体を奪い魂を奪い、奪われていくのだろうか。

いやだけど。するかも。そう思う。

私たちは狂気の中で生きている。いや、実は狂気といって排除しようとしているものが、本質なのかもしれないな。狂気を押さえようとする、真の狂気。

ほらね。だからいったでしょ?

愛は。狂気の蜜だって。
 
 


散文(批評随筆小説等) 狂気の蜜 Copyright umineko 2007-03-04 09:53:52
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