死後に関する幽霊の考察
野火 後里
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死んだって欲はあるらしい。そりゃあ死んでるんだから、生きてた頃の欲とはまた違ったものだけど。生きてた頃の欲?そういえばなんだったろうね。あれ食べたいとかもう寝たいとかこれ買いたい、とか。勝ちたいっていうのもそうだし、なかなか公言するのが照れくさいけど(お年頃ですからね)アノ人と仲良くなりたいなーとか、さ。いうなれば本能ってやつじゃないの。あぁやんなっちゃう。顔が赤くなりそう。でも赤くなる顔の持ち合わせもないんだもんね。そう、今確実に分かってることは、それらの望みはどうしたって叶う見込みがないってこと。そもそも必要性がないって話なのです。死んじゃったからね。きれいさっぱり、こりゃまた見事に不必要になっちゃってまぁ。わたしの中の最優先事項、つまりは中心の核がすっかり抜きとられた感じ。
そうそう、死んだときの欲についてだったよね。忘れるところだった。今のわたしの核の話。秋の始めの、しめった気流に乗っかりながら、わたしが願っていることは・・・ジャン、ずばり平穏です。ああ神様、「わたし」というカタマリが、このまま滲むことも崩れることもなく、そっくりそのまま、どこか安定したところに落ち着きますように!
生前のわたしはこんな風じゃなかったんだけど。どっちかというと、平穏反対派だったのにな。一日に一回は、特に数学がある日は(毎日だった)高校に隕石が落ちてきたり高校に雷が落ちてきたり高校に芸能人がやってきたりすればいいとか思っていたはずだ。そんなこと、健全な高校生が考えることでしょう、とわたしは思うのでありますが。もう確認する術もないけど。
でも死後にして思えば、それは高校を脱出した先に自由になる体があったからなんだな。廃墟と化した教室を目にして呆然としあえるクラスメイトもいたからだ。誰の目にも、それこそ自分の目にも留まらない存在となってしまった現在、わたしを「わたし」と認識し留めているものは、この流れるような思考と思い出のみだ。じゃーじゃー垂れ流さないと消えてしまいそうでこうして呟き続けてるけど、同時に存在が漏れ出ているんじゃないかという恐怖に苛まれる。
幽霊というにはあまりに頼りないこの状態。その気になれば行きたいところへ一瞬で移動できるらしいのだけど(わたしはそれをある鳥から教わった。話すと長くなりそうだからここでは省略)その移動手段をわたしはあまり好まない。考えてごらんよ、試しにここからUSAのディズニーランドまで吹っ飛んだら、わたしの成分どれだけ縮んじゃうんだろう!変身しすぎて元の姿が分からなくなる怪人の心理と少し似てるね、これは。行かなかった所へ知らなかった手段でぽんぽん移動したら、生きてた感覚(間隔、でもいいかもしれない。この場合)を忘れてしまう。そうすると「わたし」はなにがなんだか分からなくなって薄れてしまう。だからわたしは歩く速さで、なじみ深い道を、ぶらぶら漂っている。もうすぐ何週目かの自宅に到着する。
涙だってこぼれない。本当に、わたしは一体なんなのだろう。ていうか、来るならさっさと迎えに来てください神様。神様?それってわたしの場合、誰にあたるんだろう。
ああ、また帰宅してしまった。