笑いたい、腹が痛くなるまで笑いたい
んなこたーない

ひとつには態度の不徹底である。
こちらのひとには我慢できないことでも、あちらのひとでは平気で看過できる。
脳味噌が足りないのは仕方のないことではあろうが、
足りない脳でもせめて最大限使うよう努力すべきだ――

というのは、字数稼ぎの意味のない導入部にすぎないが、
ひばりくん氏「僕だからこそ」を読んで、一晩置いてみて云々というのはとてもいいアドバイスだと思った。
履歴書やラブレターでも、一晩置いて見直せという教えがある。
一晩たつとそれだけで一切のやる気がそげてしまう自分の性分がつらい。

しかし今回ぼくが気づいたのは、ダメな人間は幾晩置こうと何回読もうとやはりダメだということで、
世の中にはそういう人間が存在するということが分かった以上、
いつ自分がそうなるか分かったものではない。これは新たな教訓である。
そしてこれもまた導入部にすぎない。

曲解やら思い込みの改変やらは、こちらにもそれなりの言い分があるけれど、
そこに拘泥すると言葉尻のとらえあいだけになる恐れがあるので、
必要以上に触れるのはよそう、という風には思っている。
ツマらない当てこすりは、やはりツマらないものだ。
しかしここでひとつ言わなければならないのは、次のことである。
ひばりくん氏が「これだけ見ておかしい、という方もまたおかしいです」というのは当然であり、
ぼくもまたそう思うし、またそう思うだけの権利がある。
なぜなら、ぼくはそれだけしか見ていなかったわけではないのだから。

その上で、これはひろく通用しないと思っただけの話である。
「まあ、傷ついたり傷つけられたりってのは、何をどうしたって避けられるものではない。
 何もしないことがかえってひとを傷つけることもあるしさ」というのは、それを受けての補足のようなものである。
しかし文章の配置やら構成やらはどうでもよく(人によってはどうでもよくない)、
ここで話のメインにしなくてはならないのは、やはりイジメそのものについてであろう。

ぼくは学生時分ヤンキーをやっていたのだが、当時を思い返してみると、
人をおちょくってみても、下を向いて黙られたら張り合いがなくすぐに飽きてしまったことであろう。
胸ぐらを掴んで殴りかかってくるようなのが、まさにイジリ甲斐のある対応なのだ。
これはぼくの視点だから見えた景色ではあるが、もう一歩進んで考えてみたい、というのがいまのぼくの希望である。

ヤンキーのなか(だけに限らないかもしれないが)には、
人(とくに女の)前だとやたら横柄になったり暴力的になったりするタイプがある。
この現象はリンチの場面では特に顕著なもので、競争心なのか優越感の誇示なのか、
ぼくにはよく理解出来ないのだが、本人たちにしたってどの程度自覚があるかは怪しいものである。
また、これと似たようなものだが、人間の感覚は習慣によって麻痺することがあり、
ある種の義務感だけで凄惨な行為に及びうる可能性もある。
イジメる側は心底本当に凄く楽しんでいる、というだけでは一面的な見方に思う。
面白くなくても止められないことはたくさんある。
そしてそれを簡単に、個人的な悪習である、と片付けられないときもある。

これもまたぼくの経験上の景色だが、イジめられる側の人間が、
いつも下を向いて黙ったり、泣き出したりするとはかぎらない。
自虐的に受け答えることによって、つまりそのイジメの場に同調することによって、
その全体のなかに溶解してしまっている場合がある。
ときには「うっせぇーなー。ほっとけよ」と笑って返してきさえする。
こういう反応はあくまで表面上の防衛策にすぎず、心の奥底で本当はツラい思いをしているのかもしれないが、
肝心なのは、この「イジメ劇」では加害者と被害者という個々人が主役というよりも、
関係性というかアトモスフィアの方が主役になっているということである。
なんだかイジめる側もイジめられる側もそれを「ごっこ」として、
それぞれの役割を自ら進んで演じているかのように見てきさえする。
この「劇」では、首謀者は誰か、などという追求では決して問題の核心に触れることが出来ない。

以前「微妙な心理面について取り逃がしてしまうんじゃないか」と書いたときには、
だいたい以上のようなことが念頭にあった。
だからといってそれを、いまは主観的で心情的(なんだかよく分からないが)でしか語ることの出来ない
ひばりくん氏にまで求めているわけでも、いたわけでもない。

また、相手の欠点を掘り出して罵倒することは楽しい、という指摘が間違っていると言いたいわけでもなく、
これはこれで重要な問題であると思う。
この楽しさの構造を考察し解明しなければ、その現状を根本から変えることは難しいだろう。
ひばりくん氏がこれについてどういう意見があるのか、
とくに触れられることがないのでぼくにはよくは分からないのだが、
いくらひばりくん氏が心の問題好きを自称しているからといって、
ここでその不整備さにまでイチャモンをつけるのは、いくらなんでも酷であろう。
あるいは、この問題の解明は今後の人類の叡智に期待してみる他ないのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 笑いたい、腹が痛くなるまで笑いたい Copyright んなこたーない 2007-02-17 18:43:37
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