すまんま すまま あんやらや
さらんだ すだら はいひりや
せけそん ど てんばふぃお
うばる ぞんま がらんがんば さ
しかいのおくに みえるときのはてま
はて の ま、
はて というのは はしっこのことだとおもっていたが
やはり なにもなかった、 くう であったのだから
これは ま というものなのだろう
まかいのおくにみえる ときのてはし
さんずのかわを わたらなくても あるいていけるようになったさいはて
せかいで はじめて かみのひょうてきになった あわれなまおうのすみか
この もっともめだつみにくいもの へ ふるくから ひとびとはそれぞれにおもいをこめた
そしてとなえる まおう など いない と
みかいのおくに しまえるときのはて
はて、なのだから もうそれいじょう かんがえなくていいのだといわれる
だいのうにねむる ろんりという なの かのうせいは はてからはなれ
いきもの こたいのはてのそとに せかいは もうゝ とひろがっている
つまり、 いつまでたっても わたしたちは はじっこにたつことはできなかった
さ
すまんま すまま
ぞんま うばる はいひりや
あんや はいひら せけそんど
えんば さらんだ がらんふぃお
さま さまんま えらや り や
(RT-A 2007-02-10 [21:27:21-21:42:00] 独白を やゝ変えて)