この国で「生きていく」とは(随筆)
逢坂桜
ここしばらく世間を騒がせている、厚生労働大臣の発言。
今日、日曜日で、週のまとめとしての報道の中、いままでの発言もあった。
何様だ、この男は。
子供を出産できるのは、女性だけだ。それはあたりまえだが。
産みさえすれば、勝手に育つとでもいうのか。
とにかく一人でも多く産めば良い、とでもいうのか。
政治屋の認識はこの程度なのか、と。
しかもかの政治屋は「15歳から50歳の女性」としていた。
法律で、結婚は、女性が16歳以上で、未成年は保護者の許可がいるのだが。
未婚の母親の育成を奨励しているのか。
数年前のギネスで、45歳の女性の出産が掲載されていた。
産みさえすれば、母体は使い捨てでかまわないのか。
生まれた子供は、育つ家庭が必要だ。
だが。
家庭は無音だ。家族は騒がしい。
家に住人が見えない 大人は仕事・子供は学校と塾
集まれば子供がうるさい 親は子供を躾けない・人の迷惑を顧みない
偏見に満ちていてごめんなさい。
最近、無職になってから、日中に出歩くようになった。
子供が騒いで迷惑をかけていも、親は無関心だ。
自分が平気だからといって、公共の場では常識があってあたりまえではないか?
そんな場面にばかり、遭遇している。
そして。
偶然に見た子供がいた・・・ネット越しだったが、ぞっとすることがあった。
子供は、本当に、点数だけで人間を判断したのだ(ゲームの戦績を表示していた)
点数が低いから自分が敬意を払う必要ない、と、自分の方が上位なのだ、と。
・・・そう理解した時、わたしはぞっとして、すぐさま眼をそらした。
特別なことだったかもしれない。
このひとつをとって、すべてを見るのは危険といえばそれまでだ。
わたしと同世代の人間がそんなことをしない、とは言い切れない。
だが、やはり、目の当たりにして、こわくなった。
ニュースで流れる、理解できない、したくない殺傷事件が相次ぐ。
そうまで利己だけの人間がいるなんて、こわい。
他者に考えが及ぶことは、特別でもなんでもない。
「自分がされていやなことは人にするな」当然だ。
・・・なんというか。
家庭は社会の縮図だ。社会はそんなに歪んでいるのか?
結婚・出産・子育ては、誰の人生にも大きな通過点だ。
独身であったとしても、自分が育てられた事実がある。
だが。
政治に女性が登場しても、ごまめの歯軋りなんだなぁ、と、
男だって母親から生まれたはずなのに、この程度の認識なのか、と。
この国で、出生率が向上することは、もうないのかもしれないな、と、思った。
別に、この男一人だけが特別じゃなくて、
いまも、たくさんの家庭で日々懸命に生きている人々がいる。
けれども、こんな発言も、ここまで目くじらたてなきゃならない環境も、
あきらめが入ってるように、思えてならない。
日本では、昔から家事を仕切るのは女性とされている。
母性の神格化も手伝って、小さい子供を持つ母親が働くことは避ける風潮もある。
働いていても、女性が家事を担うのはあたりまえ、とされている。
・・・これが一般的だと思っていたけど。
リストラに驚かなくなって、失業率も気にならなくなって、
バイトやパートを頼りに大企業が回復したって、税金も保険料も右肩上がりで、
成人が働いてこの国を支えても、国は国民に、いま以上のことをしないのかな。
国を動かすのは政治屋さんたち。
働いて生きるだけが精一杯なら、子供が成長しても、この国が変わってないなら、
出生率もいつか1.0を切っちゃって、高齢者は5割強になっちゃって。
そういう国になるのも、どうしようもないことなのかな。
・・・誰かだけの、なにかだけのせいにできない。
けど、これから先のことは、いま生きている人にかかってくるはず。
わたしになにができるだろう。
以上、思いつくままつれづれでした。
最後までつきあってくれて、ありがとう。